2010
10.29

DSCN5989枯れ葉の舞う旧道をクルマで走っていましたら、このような古い旅館が朽ちておりました。

橋も錆びて、きしむのでございます。

心落ち着く眺めでございます。嬉しくなり、雪のかかった草をわけいり、壊れた窓から廃墟へと入り込んだのでした。

廃墟ブームなそうですが、自慢ではありませんが、私は学生の頃から、こういう枯れたものに興味があり、松尾鉱山跡や蛇の島遊園地跡などをカメラに収めております。
ブームになってからは、もっぱら、こういう一般旅館の廃墟探し。

旧道を二時間も走らせての発見でありました。

DSCN5993人の手が失われると、住居はすぐに荒廃するものであります。

人の運命もまた同様。
我々は荒廃から逃れるために、日々、飯を食い、勉強や仕事をしているのかもしれません。恋愛はそれに色を添える花といったところでしょうか。

しかし、ほとんどの人々は、この廃墟のような心の荒廃を、どこかで予見しているのかもしれません。それは悪い予感というのではなく、遺伝子のように心に種となってばらまかれ、たとえば誰からの連絡も途絶えたりすると、その種子が心の中で芽をふき、白い根をはわせるのでございます。

DSCN5990かつては、ここで大勢の人間たちが笑ったり、酔っぱらったり、生殖行為をいたしたり、あるいは憎んだり泣いたりしたのでありましょう。

そのすべてが失われ、妙な人の名残りが染みついておるばかりです。

おーい、と呼びかけると、この廃屋旅館の奥の方でクスクスと笑う子供の声が聞こえそうでありました。
なので
「おーい、おーい」
と声に出してみましたが、なお深いしじまに包まれるのでありました。

もしかすると、私は自分の心の廃屋にむかって呼びかけていたのかもしれませんです。