2011
01.08

DSCN6626この甘き誘惑。
なんと美しき白色なのであろうか。

一本引き抜いて、くわえて火をつけ、両頬をへこませて吸いこむと、肺の細胞がめきめきと音を立てて破壊される心地よさ。それからゆっくりと煙を吐き出す。後頭部がクラリと痺れる陶酔感。

私は13才から煙草を吸っているので、完全に中毒であります。
幸いなことに百害あるといわれる煙草でありますが、まだ害を体験しておりません。
むしろ、興奮を和らげたり、物事を思索するというプラスに役立っております。煙草がなければ原稿を書くことはできなかったでありましょう。

が、昨年の夏から「来年の元日から禁煙するつもり」と周囲に公言しておりました。理由はありません。ただそういっただけであります。

で、いつしか紅白がおわり、ゆく年くる年で知恩院の除夜の鐘がゴーン。
2011年がはじまったのでありました。

で、禁煙と言う流れです。
画像のセブンスターは、31日に吸いきれなかった残りであります。
八本の煙草が残されたのです。

誰かが死んだとき、故人の煙草を机に見つけた妻が「お父ちゃんの煙草だわ」などと、しみじみと思い出すのようであります。

本日で8日目です。
元日からなので数えやすくて便利なのであります。

舘ひろしのように、情けなく医療の門を叩こうとは思いません。禁煙パッチだの禁煙ドロップも不要です。電子煙草も引き出しにしまいました。

だいたいにして世間が目を剥きだして叫ぶほど、煙草がカラダに悪いとは思えないのであります。すべて体質の問題。
私の場合は体質に合っているのであります。
また、禁煙した者は運が傾くことで一致しています。

ではお前は…? と尋ねたいでしょうが、私は易者であります。易者には運勢などありませぬ。傾く運勢がないわけであります。

そして、いずれは煙草を復活というか、自然に煙草をくわえることを自分に禁じているわけではございません。

ではなぜ禁煙をするのか。
暇つぶしでありましょう。
スポーツ選手が、肉体が悲鳴を上げるのを我慢してカラダを鍛えるのと同じように、私も禁煙の苦しみの中から悦びをさぐってみたいだけなのであります。
煙草を吸わない人たちには経験できない種類の悦びなのであります。

セブンスターは「ほうら、一本くらい吸えば良いじゃないか」と囁きますです。
「八本残ったって仕様がないじゃないか。一本吸えば七本。セブンスターという名に合うじゃないか」と。

禁煙のために元日から日が過ぎるのが遅く感じますです。