2011
05.21

以前のブログでやっていたエロ訳百人一首でありますが、
「つづきをやってほしい」
というご要望が数件ございました。
面倒くさいのではありますが、せっかくなので、では…っつうことで再開いたしますです。

今回は、右大将道綱母。
藤原兼家の妻でありますね。結婚して二年目くらいの歌でありまして彼女は二十歳くらいでしょうか、28才の夫の兼家に別の女ができまして、朝帰り。
そのときの気持ちを詠んだ歌とされておりますです。
浮気した夫の帰りを待つ歌とされております。

ーー嘆きつつひとりぬる夜の明けくるまは
いかにひさしきものとかは知るーー

一般的には、
『あなたを待ってひとりきりで寝る夜の、夜明けまでの長いこと。どんなに苦しいかあなたはご存知でしょうか。いいえ知りますまい』

まぁ、これでもイイのでしょうが、一説には、朝帰りした兼家が門を叩いても家には入れなかったとか。兼家はしかたなく、ふたたび愛人の館に戻っていったとか。

が、じつはそうではないのであります。
この歌を解読するカギは、「明くるま」という言葉にあるのであります。
明くるま→開ける間。
夜が明けという意味と、門を開ける意味と、体を開ける意味の三つの意味を持たせているのであります。

兼家は、ふてくされている女の横に寝そべって、
「なぁ、怒っているのか?」
などと猫なで声で、女の着物のわきから手を差し入れたことでありましょう。
乳首などが固くなり、彼女から性欲の匂いが発散されたことでしょう。
が、女の意地。
「ダメ、いやよ、あの女を触った汚れた手でさらわないでちょうだい」
などと抵抗したことでありましょう。
腿もぴたりと閉じ切って、兼家の愛撫を受け付けなかったはずであります。

「久しきもの」という言葉も意味が深いのであります。久しいのではなく、久しき「モノ」とあるのであります。

兼家はすねる女に、固くなった股間のモノを押し付け
「久しくシテいなかったよな。もう我慢できない頃じゃないのか」
と卑猥なセリフを囁いたことでありましょうねぇ。
耳たぶなどをちゅうちゅう吸われながら「なぁ、こんなにお前だけを愛してるのに」と野太い声で囁かれると、撫でられている陰毛が湿り気をおびてもいたし方ありますまい。
「しようのないひとね…」
とゆるめた腿から、兼家の指の侵入をゆるしたことは想像に難しくはありません。
「いけない子」
と、お尻におしつけられたモノをおもわずという感じで握ったヤモしれませんですね。

つまり、この歌はセックスによって夫婦喧嘩を和解してしまったということが歌われているわけであります。

詠み手の右大将道綱母は、兼家との二十年余りの結婚生活を「蜻蛉日記」の残したのでありますから、そういう意味からも、この歌は夫婦間のセックスを描いているわけであります。

一人寝る夜の明ける間は、いかに久しきものとかは知る。
そういうことを理解した上で、この歌を全体に眺めると、なるほど「夫婦のセックスというものは、だんだんと回数が減っていくものなのね」ということを詠んでいるのだと分かってくるものとおもいますです。

百人一首は、詠み手のエロ人生を代表する一種を撰者の藤原定家がとりあげているのは間違いのない事実なのであります。