2011
06.18

たまにはアカデミックな内容も、ということで、研究などしていますヤツを、ちらっとお見せいたしますです。

奇門遁甲で読み解く日本史であります。

784年、桓武天皇は都を奈良の平城京から、長岡京に移しました。
そして10年後の794年に突如として、こんどは京都の平安京に遷都したのであります。

今回のテーマはコレであります。
このあいつぐ2回の遷都は歴史上の謎とされておりますです。
水陸交通の便、渡来人秦氏の財力、仏教勢力の切り離し、怨霊出現…など、いろいろと遷都の理由を学者どもは挙げていますが、どれも決定打にかけておるようであります。

これは方位でいう「方違え」なのでありますが、これは後日述べるとします。
まずは遷都の786年に注目いたしましょう。

奇門遁甲では604年の甲子年から60年間を上元としています。
60年ごとに中元、下元と数えるのです。180年で一巡し、ふたたび上元の一局に戻るのであります。
長岡京遷都の786年は、604年から勘定しぴたりと180年後であります。
ちなみに604年とは聖徳太子が17条憲法を出した年。ほれほれこういうことと暦をリンクさせて読むことが肝心なのであります。
また604年は推古天皇が二年前の推古10年に輸入していた暦を公にした年でもあります。上元一局の甲子年というのは、それほど重要な意味があるのでありますです。
これらは日本書紀の記録であります。一説には日本書紀は虚偽文書だといわれていますが、たとえ、日本書紀による記録が虚偽だとしても、いや虚偽ならばそれだけに、やはり上元一局甲子年を意識していた証拠になるのであります。

ときの占い師どもは、こういう暦の計算には神経質だったに違いないのであります。
とりあえず786年は遷都のチャンスなのだと天皇なんかに進言していたんでしょう。
そして時代は長く続いた天武天皇の系列がおわり、天智天皇の系列にもどり桓武天皇の時代になっているわけです。
話はそれますけれど、
暦の計算といえば、占い師たちは明治維新を1861年と読んでいたのではないかと思うのであります。明治元年が1867年ですから、計画から6年遅れたのであります。

それは、60年を一元として上元中元下元の180年でひとめぐりの周期のほかに、21元を一蔀(いちぼ)とする大きな周期があるのであります。
それを照合いたしますと、1861年というのは神武天皇が即位した日本史上記念すべき辛酉の年から二蔀くだった年なのであります。

いずれにせよ、遷都など日本史を解き明かすには占いを吟味することが大切かもしれません。最近の占いである気学やカンタン風水などはべつとして、次回は奇門遁甲という古い占いを頼りに、なぜ京都に遷都したかについて論じてみたいと思うのであります。