2011
09.27

事務所から神田駅までは徒歩で小一時間ほどかかるのでございます。
いつもは、むろん電車を利用するのですが、今夜は新月。
月のない空を仰ぎつつ、暗い路地を選ぶようにして、神田の寿司屋に立ち寄ったのでありました。

画像は四万十川の海苔のてんぷら。
これを肴に、夏のうちに仕込んみ、いま飲みごろの高知のひやおろしの辛口を喉でころがすのでありました。

寿司屋でカメラを構えるのは、ちと照れくさく、画像はこれだけでございます。

良い料理をくっていると、いつしか体臭が開運的なニオイを発するものであります。
いや、料理に限らず、良い人と付き合っても同様に、芳香をただよわすようになるものであることは、あまり知られてはおりませぬ。
幸運の持ち主の吐息を吸い込むからだと、私メは勝手に解釈しているのであります。

そうすると部屋の植物までいきいきする連鎖に気づくかもしれません。

逆にいうなら、部屋の植物が枯れるのであれば、悪臭を放っているわけで、それは運の悪い人と接しているからにほかありません。あるいは不運な料理を食っている証左でもございます。

愛していると思い込んでいる相手と別れたとき、心は悲しみにくれているというのに、カラダからは、いいしれぬかぐやしい良い匂いをにじませている場合も多いのであります。そういうものなのでありますです。

良い料理というのは値段ではありませんです。
たとえば今夜のように、四万十川の海苔と、高知県の酒という同じ土地の産物の組み合わせが、それが幸運の旋律を奏でるのだと、私メは信じてうたがわないのでございます。

ほろ酔いで、ガード下にある古い珈琲屋で、喫煙をすることにいたしました。

酒でいささかただれた胃袋が、珈琲によってあたたかく蘇っていくことを実感しつつ、ふかぶかと煙草のかおりをたのしむのでございました。

こういうつかの間のくつろいだ時間を至福のときというのでありましょう。

そのわずかな時間をえるために、わずらわしいことをしかめっ面をして堪えているのかもしれませんですねぇ。

2011
09.26

なんとなく立ち寄った小さな書店で、ふと「マッチ売りの少女」の童話を手に取ったのであります。

久しぶりの立ち読みでした。

読み終わったら、まわりの風景がちがうように感じられました。

悲しい物語が、なんと心にあたたかさを与えるのでありましょうか。

世の中は、マイナー志向は良くない。プラス志向で生きることが大切だと言われております。
プラス思考とはどういうことなのかと考えると、「諦めない」とか「頑張れ」というヤツでありましょう。お笑い芸人のゲタゲタ笑いもプラス志向であるとおもいますです。

けれど、ブラス志向は疲れるのであります。
ついていけないというのが正直であります。

ヘトヘトになったとき「ほら、栄養をつけろ」と肉を差し出されてもカラダがうけつけませぬ。

私メのお客様は、どこか心を病んでいる人がほとんどであります。
でも、明るく振る舞おうとして、無理に笑おうといたします。
笑うことことが幸運を迎えるための条件のように、笑うのであります。

しかし、そのうちに泣きだすのであります。

とうぜん易者である私メもそうとうに気が狂っているはずなのであります。
お笑い芸人の声を聞いただけで、心を逆なでされたようなイヤな気持ちになるのは、たぶん、病んでいる証拠でありましょう。

悲しいときに悲しい物語や、悲しい歌が、心をあたためてくれるのは、そういう悲しみは、栄養はないけれど、暖かなお粥をすするようなものだからかもしれませんです。

こう、しみじみするのは、秋風がふく季節になったからでありましょうか…。

2011
09.25

コメントさんに触発されまして、ポルチーニ茸のパスタをば料理したのでございました。

ポルチーニとは、ポルチーノの複数形でございましょう。語尾が「A」であれば女性名刺。「O」ならば男性名詞でありますから、ポルチーニは男性名詞ということになるのであります。

やはりキノコは男ということでありますね。

食材やで、乾燥ポルチーニ茸を求めまして、一時間ほどぬるま湯でもどし、ニンニクで炒めましてございます。増量のために「しめじ」をつかいました。
味つけは塩のみ。
最後に生クリームを落としたのみ。

「うわわっ……!」
と、舌の奥から食道にかけて、ざらついた荒めな味覚がひろがったと感じた次の瞬間、甘い毒薬のような深い味が、たてつづけにぶれながら襲いかかってくるではありませんか。
視覚も聴覚も触覚もなにもかも停止して、しかし味覚さえも、あまりの美味さにマヒしてしまうのであります。
魂で味わうイタリアンでございましょう。

この感動は久しぶりであります。
おお、リナーシタ! ルネサンス! めめめめめめめめの美味めザンス。

そういう人はおりませんが、もしも、死んだ美人の恋人がいたとして、彼女が息をふきかえした復活のごとき、感動なのでありました。

明日から何を食って過ごしたらいいのやら。

こんどは、息を吹き返したつかの間の悦びに、気づいたらその名器の美人がふたたび死んでしまったような、虚しさをおぼえるのでございました。

ポルチーニ茸は男性名詞ですから、お女性さまは、おそらく、このパスタに阿部定の気持ちを理解するかもしれませんです。ふところにポルチーニ…いやそれは贅沢。ポルチーノ。