2011
11.03

昨夜、ストーブが壊れてしまいました。
それで布団にもぐって頭だけでして仕事をしていたのでありますが、いつの間にか眠ったようであります。

夢のなかで、見たこともない女たちに囲まれて晩さん会をしておりました。
と、一人の女が発狂し、剃刀を投げつけたのであります。剃刀は向かいに座っていたお女性の頭部に、深くささり鮮血が流れました。

剃刀を投げた女は、ハッと我に返り、泣きながらしゃがみこみました。
私メは、被害者の女に「剃刀を抜いたら血が噴き出すから抜かないで!」といい、加害者の彼女の方に「おちついて」と駈けよりました。
女はおう吐をはじめ、私メは、吐しゃ物を両手ですくい取ったのであります。

目覚めるとまだ深夜でありました。

こういう場合、「晩さん会」「剃刀」「鮮血」「おう吐」がキーワードなのでありましょう。女性ばかりのなかに私一人がいるということも、何やら暗示的であります。

この夢の解釈はおいておくとして、私メが駆け寄ったのが被害者ではなく、加害者であったということも面白い着眼点かもしれませぬ。

また、麦とろ状の吐しゃ物を、私メは素手で受け止めることをさほど抵抗なくできるのであります。むしろ快感かもしれませんです。
いままでに二回だけ、そういうことをした覚えがございますです。

その一回目は去年でありました。
仕事上での飲み会で、深酔いした中国のお女性のゲロを両手ですくったのでございます。一回目の時は、女の胃酸で皮膚がただれましたが、中国女性のヤツは大丈夫でありました。
いや、そんなことはどーでもよろしい。

その中国人との取引は、損得が生じる前に立ち消えになったのであります。

昨夜の夢も、そんな暗示だったのかもしれないと思ったりしております。

鮮血の赤。吐しゃ物の白。
ふーむ。
私メは、被害者に駆け寄るべきだったのでありましょう。
血液を全身にかぶれば、金運が飛び込むという解釈が夢判断のセオリーだからであります。

それとも白は精液、赤は生理の血…という解釈も成り立つのであります。
すると、剃刀はペニスの象徴となり「抜くな」という言葉はナニの暗示になりますです。そして、女の口から出た精液をすくい取るという行為は…。

ふーむ。

夢というものは、けっこうバカになりませんです。

心理的な判断材料となるのか、予知夢として考えたらいいのか、いずれにせよ、ひじょうに興味深い分野であります。

福本銭を送付するとき、「十傳の夢」という封筒に入れていますが、こんごは、夢にもちょっと踏み込もうかとおもっておりますです。

2011
11.03

アマチュアカメラマンだった亡父の写真が、岩手県花巻市の、宮沢賢治ミュージアムに展示されているというので、ちとおもむいてみたのでありました。

「あんやぁ、コレ、お父ちゃんの写真だぁん」
と老母が目ざとく、ポスターの背景の写真を、
「なつかしごどぉ」
と指差したのでございました。

趣味というものは恐ろしいもので、亡父の写真道楽は自宅に現像のための暗室までこしらえるほどなのでございました。
残された写真ははなれの書斎にいまなお膨大な量で残されておりますです。

館内のおくまった場所に、その写真はございました。
昭和25年から昭和30年ころにかけてとりためた、種山が原に放牧された馬たちの写真であります。

宮沢賢治の文章とあわせて、しかしどこか、亡父の肉声を聞いているようで、おもはゆいのでありました。

「あんや、これだけっか」
と老母。
「もっといっぺ展示してければいがったのに」

ひととおり眺めまして、担当の人に挨拶し、ミュージアムをあとにしたのであります。

もし亡父が、写真ではなく女にのめり込んでいたならば、どうだったのだろうと車のハンドルをあやつりながら妄想するのでありました。

別の女に子供がいて、それは私と同じくらいの年代になっていて、その人のコンサートに招かれていたのかもしれません。
その人が、男であるなら、亡父と似た声でオペラなんかを歌っているのを聞きつつ、となりの座席で老母が「あんや、お父ちゃんとそっくりな声だごどぉ」などと声をもらしているのを苦笑していたのかもしれません。

それもまたよかったかもしれない、と思うのでありました。

ふと、亡き師匠から譲られた数冊のノートをおもいだしました。
断易に関する秘伝のノートであります。
そろそろ、それらを講義して、あとの人たちに伝えていかなければらない頃ではないか、と。

ちまたで出されている断易本ではございません。
原典にそって忠実に訳され、それに付随する占例のついたもので、たぶん、日本では…というより、すべて揃った形では、私以外に所有しているものはないでありましょう。

ひたすらまっすぐな色気も何もない国道456号線をモリオカへと引き返すのでありました。