12.27
だいたいの用事をすませ、雪のモリオカをあとにするのでありました。
年末の上りの新幹線は閑散としております。
雪景色は福島あたりまで続いているのでありました。
いろいろとお女性たちを回想するのには、雪げしきというものは、すこしだけ点数が甘くなるのは、まだ心に若さが残っているということでありましょうか。
仙台から乗客は増えました。
うふふ、なんて甘い囁きが聞こえたりしていたのであります。
みると三十代とおぼしき男女がむつまじく愛を語っているではありませんか。
「非国民!」
なんて、昔なら蔑まれたのでありましょうか。
が、雪景色にはこういう姿もなかなか良いのであります。
しかし、たぶんもはや私メはこのような優しさを表現することはできないのだろうと、やや淋しい気もしないこともありません。
なんども書きましたけれど、
「わたしより、ワンちゃんの方がだいじみたいね」
とか、
「そんなにロメオだっけ? イヌのことが気になるなら帰っちゃったら?」
とか、
「十傳さんのイヌが短命なのは、可愛がりすぎるからじゃないの?」
とお女性から、皮肉ともつかない言葉を投げかけられたのであります。
自分としては、それほどイヌに耽溺しているつもりはございません。
たんに、こうやって温め合いながら寝そべっているのが気持ちいいだけなのであります。
何も言わずにこうしているだけで満足し、満足させてくれるお女性がいたなら、それはそれでとても嬉しい存在となることでありましょう。
言葉が通じないという欠落を、おたがいの肌で感応しあっているのかもしれませぬ。
ならば言語のことなる外国のお女性ならばどうなるのだろう…と想像しますが、否定的な結末にしかならないのは、イヌと戯れる楽しさは、言葉が通じないこととはまた別のことかもしれませんですね。
支配と従属関係だからかもしれません。
だとすれば、幸せは主従関係のなかに詰まっているようでもあるようであります。