2012
03.02

 『あらざらむ この世のほかの思ひでに いまひとたびの逢ふこともがな』

 もうエロ訳なんて必要がありませぬね。
「わたしはいま病気に伏せっています。死ぬかも知れない。せめてあの世への想い出に、もう一度だけ、あなたに逢いたいのです」

 逢うという文字は、又に棒が突き刺さっている形です。しんにゅうがありますから、セックスするために出向いていきたいという意味にとれますです。

ちなみに会うならば、「家のなかで云う」の形でありますれば、お喋りするためにあいたいということになるのでありましょう。

また、逢うと書いて「おう」と発音いたしますです。
「おう、おう」という快楽の遠吠えが聞こえてくるようでありますですね。

病気で死にそうなのにセックスしたいとはまた、なんと元気なお女性でありましょうか。
まぁ、私メも若い頃は、風邪をひいたりして寝ている時など、妙な煩悩にさいなまれ、八回ほども自涜した記憶がございますです。最後は空ふかしでありましたけれど。

しかし、精力絶倫の和泉式部。
その証拠をお見せいたしましょうか。

・橘道貞と結婚いたします。ふたりの間に出来たのが子式部内侍でございます。
・冷泉天皇の三男坊の為尊親王と恋愛。浮気でございますね。
 が、この親王とは死別。
・ここで夫と離婚いたしますです。
・藤原保昌と結婚いたしますです。
・子式部内侍と死別。

このほかに、式部のためにカッパのような雨具を借りてきた少年に愛を告白されて、部屋に引き入れたり、我が子の道命と母子相姦をしたという噂も…。

が、本当のところはどーなんでしょうか。
遊んでいるっぽいお女性より、真面目に仕事に打ち込んでいるっぽいお女性の方が、なんとエロイかを、私メ……いやいや、みなさまも体験的にご存知かと。

じつは不感症だったかもしれませぬ。
「黒髪の乱れもしらず うち伏せば まず掻きやりし 人ぞ恋しき」
なんて歌も詠んでおりますです。
昨夜のセックスの名残りの髪の乱れに、その相手の男を思い出しているという意味ですが、「掻きやりし」というのも意味深であります。

官能の激しさを知らぬお女性が、得意になって自慢しているようにも聞こえるのでありますです。

昼下がりのファミレスで、耳を澄ましていると、スケベ奥さまたちが似たような会話を楽しんでいることを思い出しました。
「彼ったらね」
「また新しい男と不倫してるの?」
「いいから聞いて、彼ったら私の目の前で、ほんと目の前でよ」
「どうしたのよ、目の前で」
「アレをね、ゴシゴシしごきはじめたの」
「わっ、でどーした?」
「くわえたわよ」
「それで、さっきからご飯たべるの遅かったんだ。そんなにデカかったんだ」
「えへへ、顎がはずれそうだった」