2012
03.20

『憂かりける人を初瀬の山おろし はげしかれとは祈らぬものを』
この歌を詠んだ、源俊頼は、平安後期の、もっとも絢爛としていた時代の人でありますです。

一般訳では、「それでなくても冷たかったあの人なのに、初瀬の観音様の裏山から吹き下ろしてくる山嵐のように、もっとひどく冷たくしてくれとは、祈らなかったのになぁ」というものであります。

初瀬とは、長谷寺のことでありまして、当時、恋愛成就に効くとしてお女性たちに人気の高かったお寺なそうであります。

とすれば、この歌は、俊頼が、女の心になって詠んだものと考えることができるのであります。
冷たい男に惚れた、お女性が、その男のハートが自分に向くようにお祈りしたのに、さらに冷たくなったという意味になるのでありますです。

が、同時に、お女性が「どうして、私に意地悪をするの?」とメソメソする態度に、なんとも暑苦しさを感じた俊頼が、その理由を歌に託したとも受け取れるのでありますです。

憂かりける人→自分の愛に答えてくれなかった人、自分に対して冷たい人。
さて、これは、最初と最後の漢字を合わせて、憂+人=優となるのであります。

しかし「優」と、いまの「やさしい」という意味とは、ちと異なりますです。
「つらい」「みっともない」「けなげ」という意味が混ざり合っているのでございます。

俊頼は、そのお女性が長谷寺に恋の祈願をしたことを、別のお女性から耳にしたのでありましょう。
「彼女、悩んでいるわよ。もっと優しくしてあげなさいよ。とてもデリケートな子なんだから」ってな感じで。

その純真ぶった気持ちが、俊頼にしてみると、かわいさ余って憎さ千倍とまではいかなくても、何ともシツコイように思えたでありましょう。

不倫の男女が、最初はセックスだけの逢瀬で満足していたのに、しだいにお女性の心に愛が芽生え、その時の男のゾッとした気持ちに似ておりますです。
もっと、そよ風のような関係を望んでいたのに、こうお節介を焼かれてはたまらない。

適度な距離感を保とうとする態度が、お女性にとっては冷酷な残酷さを感じるのであります。

「そうじゃないよ。オレはセックスだけで良いんだよ」
とは言えませぬ。
「愛していないのね」
「分からないよ」
「都合のイイ女ってわけね、わたしは」
「そうじゃないって」
と弁解しても、男は、彼女の心までは欲しくはないのであります。

新鮮な男女の関係を味わえるのは「初瀬」だけ。初期の頃の逢瀬だけというわけでありましょう。

この歌は、やがて遊女の間で流行ったそうでありますです。