2012
04.25

『大江山 いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天橋立』 小式部内侍

一般訳「母のいる丹後の国へは大江山や生野をこえてはるばると行かなければなりません。そんな遠いところですから、その国にある天橋立にも、まだ行ったことはありません」

小式部内侍は、小さな頃から歌が上手で、周囲からは「母親に作ってもらっているんだろう」と言われていたそうであります。

そんなある日、藤原定頼という色男に「ねぇねえ、お母さんが遠くにいては歌を作ってもらえずに困っているでしょう」とからかわれたときに、彼の着物の裾をつかんで、すかさす詠んだ歌がコレということであります。

嘘です。

彼女の母は、和泉式部。スケペ大好きの母親であります。男と見ると、もうそれだけでカラダが火照る体質。
そういう母親を横で眺めつつ、小式部内侍は育ったのでございます。

いわば母親は反面教師。

おそらく藤原定頼は、このように言ったのでありましょう。
「ねぇねぇ、キミもお母さんの色情狂の血を受け継いでいるんだから、もう男もかなり知ってるんだろう? オレともヤロうよ」と。

なにしろ藤原定頼はロリコン。
百人一首にも「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木」
お女性と一晩じゅう情交して、ヘトヘトになって「いやだいやだ、年増女のしつこさはいやだ」と唾をはきつつ朝の家路についていると、霧がさぁっと晴れて網代木が見えたのでしょう。網代木は、凍魚という若鮎をとるための網張る杭なのであります。若鮎=若い女の子という連想がつながったのでございますです。「やっぱ女は若い子に限る」なんて、その杭のように勃起したイチモツを股間に充実させつつ詠んだのがこの歌。これほどのロリコン男なのであります。

さあ、この定頼のセクハラ発言に、小式部内侍は、
●大江山→あうせ山という意味であります。つまり逢瀬山。逢うというのは交わる意味もございます。
●ふみ→文。これは測字占いでは、交の同意語。
●天の橋立→女がペニスを立たせるテクであります。天橋立をマタグラからのぞきますと、勃起した男根にしか見えないのは私メだけでありましょうか。

「どうやってセックスするかも知りません。私は母と違うんです…。まだ殿方と交わったことはおろか、子供のおちんちんしか見たことかないのです。どうしたら勃起させられるのか…。ねぇ定頼さま、教えてください、母のような狂おしい官能をしってみたくなりました」
と、定頼の着物の袖をつかんで離さなかったというのが、実際のところでありましょう。

定頼は返事もできずに逃げ帰ったとか。
「若くても、この女はすれっからしだ」
と思ったかどうかはしりません。

小式部内侍は25才で死んでしまったとか。
美人で、男たちのアイドル的存在だったと伝わっておるのであります。

2012
04.24

GW直前の湘南の海は、夏の装いで光っているのでありました。

桜はとうに散り終え、クリトリスのようなツツジの蕾もほころんで、手を伸ばせばそこは夏のであります。

誰にでも夏の思い出はございましょう。
夏というキーワードで記憶を検索すると、たとえ現実にはなかったことだったとしても、恋と言う一文字が浮かび上がるものであります。

私メは岩手県の内陸育ちでしたから、海には強烈な憧れを抱いておりまして、しかも、その海というのは夏の海でなければならないのでありました。

不良娘との海は忘れることができませぬ。
岩陰に座りながら何時間も海を眺めていたものであります。

「この煙草が乾くまで、ここにいよう」
などと、波のしぶきで濡れた煙草を岩に並べながら、そんな可愛いことを申したことを、不意に思い出し、顔を赤らめておりますです。
友達から借りたヤマハの90CCのバイクに二人乗りして来たのでありましたっけ。

雫石川の河原で学生服をぬぎTシャツに着替え、その不良娘も「見ねんでね」とやはりオレンジ色のTシャツに。
弁当だけバックに入れ、それは途中の早坂高原のベンチでいっしょに食いましたから、学校をさぼったってわけなのでありましょう。

「…いまキスしたの?」
はじめてのベーゼの直後の彼女の言葉がコレでありました。
「なして?」
とつづいたのでありました。

なんども夏を迎えましたが、私メにとってのほんとうの夏は、とっくにすぎ去ってしまっておるのであります。

不良娘と何時間も座っていた岩場に、立ち寄ったことがございます。
なにも感じないのでありました。
夏草が茂る、ごくふつうの岩場なのでありました。カップ麺のカップが小汚く捨てられておりました。

その岩場も昨年の津波で、あとかたも失われたことでありましょう。

彼女も50歳過ぎ。
モリオカで、母のつきあいで病院にいったときなど、待合室を見まわし、彼女に似たお女性を探したりいたします。

どうしても、幸せでいるとは思えないから不思議でありますです。
私メのヒネクレた差別意識なのでありましょうか、それとも易者としての予感なのでありましょうか。それとも…いやいや、もうやめましょう。

夏の海は想い出を懐かしむより、想い出を作れ作れと語るように波が寄せているのでありますから。

2012
04.22

プリプリと弾力のあるよい子袋がございましたので、買っておいたのでありました。

子袋とは子宮だと誤解されやすいのでありますが、卵管なのであります。
この、クネクネした卵管を、先っちょの卵巣から卵子がゆっくりと降りてくるというわけであります。
ブタの卵管ですが、人間のものも同じでありましょう。

転がり落ちた卵子に精子がくっつくと恐怖の妊娠という事態へと展開いたすのは、いうまでもないこと。

モツの煮込みは、子袋が入りますと、いちだんと味が良うございますです。

ひと口大に切り分けまして、そのほかの大腸…いわゆるホルモンとか、ハツ…これは心臓でありますですね。そしてフワ呼ばれる肺臓も加えたのでありました。

料理はいたってシンプル。
臭みをとるために、すりおろしたニンニクと生姜をドバッとかけ、砂糖を大量に投与し、あとは微火にて沸騰するまで煮込むのであります。それに醤油を回し、さらに五分ほど火にかけて完成。

まったくお下品な料理であります。

が、男は突如として、このようなモノを激しく欲するのであります。

「だからスケベなんだね」
と言われたような…えお、あれは遠い昔のことでありました。
この数年は、年甲斐もなくモツをこしらえて食っていることに恥じらいを覚えておりましたから、お女性にご馳走した記憶がないからであります。

誰だっけかなぁ、と思い出して「ありゃ!」とびっくり。
18才あたりまで遡ったからであります。

タッパーにコレを詰めて、お女性の部屋で火にかけましたら「くっさいわぁ」としかめっ面をされましたけれど、一つまみして「これ、いける!」と喜ばれたのでございました。
「いつも、こんなゲテモノ食べてはるん?」
「ということだね」
「だからやわ…」
と会話が続いたのでありました。

しかし、もう、あまり食べられません。
食べ過ぎると胸やけがして、苦しくなるのでありますから。

近所の人を誘いましたら、孫まで総勢五人も連れてきまして「ご飯のおかずになるね」などと、瞬く間に平らげました。

私メは冷酒をちびりちびりとオヤジたちと酌み交わすのでありました。

このモツの煮込みは、亡父から教えられたものであります。
父が死んでは食えなくなるとおもい、生きているうちに真似をして作ったのであります。

そのような食いモノはまだまだあるはずであります。
ラッキョウなどの漬けもの類とか、梅酒などもそうでありますですね。おからもそう。

日ごろのなんでもない味と食い捨てておりますと、その作り手である母とかが亡くなると、二度と口にできなくなるものが、意外に多いのであります。

郷里を喪ったような、たよりない気持ちを抱きつつ、立ち寄った小料理屋のお通しなどに、その味を思いすことが、たまにあるものであります。

味覚というものはセックスと同じく忘れやすいのが特徴。
美味いとか持ち良いという観念は覚えていても、どういうような快感だったかは思い出すことに苦労いたします。

たまには自分で料理をすることは正しいのであります。
きっとその味の基本には、なつかしい幼い記憶が混じっているのでありますから。