2012
06.25

この花が咲くと、
「夏が帰ってきたのか…」
などと、遠い夏の日の記憶に耽ったりするモノであります。

咲いては散りながら、秋まで淡いブルーで庭を飾ってくれる花なのであります。

もう一つの夏の花である夾竹桃のような毒性はない代わり、眺めているだけでひどくメランコリックの感情が溢れてくるのでありますです。

秋までの、短い恋。
どんな恋愛にも寿命があるものであります。
出会って、その日に燃え上がり、翌日にはもう消えてしまうような、沙羅双樹の花のような恋もあるのであります。

長い片思いだけで花も咲かずに終わってしまう恋もございましょう。

いま、この花の蜜をもとめて蜂がとまり、カメラを近づけても、無心に甘い蜜を吸いとっているのでございます。

花は吸われるたびに、しおれてしまうのかもしれませぬが、吸われることがこころよいのかもしれませんです。
蜂は花の気持ちを果たして知っているのでありましょうか。

蜂は蜜を吸い、それを巣に持ち帰ることが役目でありますから、花の気持ちを察することは頭にないのだとおもうのであります。
けれども、吸われる蜜に、花が花弁をひろげますから、その花の快楽に甘え、より深く奥の蜜まで吸っているのでございます。

占いに「梨花春雨」というキーワードがございます。
梨の花が春雨に打たれているさまでございます。

が、これは凶という見方をいたしますです。
春雨に梨の花が色を落としてしまう悲劇、つまり色ごとによって、清純さが褪めてしまうという意味であります。

「それでもかまわないから恋をしたい!」
というお方もおいででしょう。

たしかに…。
奇門遁甲において、恋に縁のないお女性に、カンフル剤として、この方位に造作をすることがございますです。
セミナーのパワーボックスを10月のこの方位に置いてもイイかもれませんが…。

ともあれ、蜂に蜜吸われる花はちょっと優越をおぼえているように感じられますです。
他の花ではなく、「わたしに来てくれた」という誇らしさが伝わってくるのであります。

温泉地に恋人と訪れ、大浴場で、肌を磨いているお女性を彷彿するのでございます。
友達同士できた女グループから少し離れ、浴場のタイルに片膝をついて、肩からお湯をななめにかけているお女性。
お湯は、脂ののった肌を、水滴となって弾かれるのでありましょう。
夜の期待と興奮がホルモンを活性化し、隅っこにいても、仄白い裸身が浮き上がるのでございますです。
どことなく誇らしげな、その姿は、まるで、蜜を吸い取られる花のようであります。

秋までの恋だとしても。