2013
04.17

『有馬山 いなの笹原風吹けば
         いでそよ人を 忘れやはする』
                  大弐三位

大弐三位とは、藤原賢子であり、紫式部の実娘でございますです。
彼女は好きな男がいて、その彼につれない素振りをされたのでありました。
その胸中を詠んだ歌であることを念頭に置いてくださいまし。

で、一般訳は、
ーー有馬山に行く途中の猪名の笹原に秋風が吹くと、笹の葉はそよそよと音を立てます。あなたの方から風が吹いてきたなら、私はそよそよとうなづくのに。あなたを忘れることができましょうか、いいえ忘れることはできませんーー

などという愛の肉地獄をしらぬ学者の間抜けな訳でありますです。

賢子という名に違和感を覚えるのであります。
真面目くさったお名前のお女性ほどおインランという傾向がございますです。

また、紫式部を母に持った彼女が、母親ほどお堅いお女性だとは信じられませぬ。
教員の息女ほど好きなお女性であるように、子供と言うモノは親とは反対の生き方を望むものであります。
紫式部の教育の熱心さはつとに有名でございます。
が、表の顔は、母の言いつけを守る子ほど、裏に回るとギャハハなのは今も昔も変わることのない共通点。

●有馬山→馬は男根を意味する以外にありませぬ。有馬であるのは一人の男根。もし複数の男根なら生駒山(幾馬山)となるのであります。あるいは瀬々のあじろ木などとなりますです。
●いな→いやよ、ダメよという誘惑の拒絶用語。
●笹原風吹けば→愛撫された記憶。

単語の真実の意味は以上で十分でございましょう。

「あなたとおセックスをすると、体毛が逆立つほど気持ちがイイのです。まるで笹原に風か吹き抜けるようです。ダメダメと言い聞かせても、あなたの太いペニスを忘れることはできません。他の男ではダメな女になってしまいました。なんとかしてください」

これが、この歌の本音なのでございますです。

が、お女性は「セックスなんて、ほかの男でもそれなりに満足させてくれるものよ」と強がりを言ったりいたします。
「離れていると、あなたの本心が見えてきます」とも申しますです。
「いや、おまえだけを愛しているのが分からないのか」と言われたいのであることは分かるのでございますです。
「あれから、オレだって誰ともシテないんだ」
「ウソ、うそよ」
「本当だよ、ほら、だから、こんなになってるだろう。握ってごらん」
「……」
「これが欲しかったんだろう。オレだってここが欲しかったんだよ。おや、もうこんなになっているじゃないか」
「…ダメっ、そこはダメ」
「ならどこがイイのかな」

こういう成り行きになることは、お女性である皆様の方が経験を積まれていることと存じますです。

そうやって男女のいとなみは繰り返されていくのでありましょう。
争いも、いさかいも、戦争も、すべてはココが原点なのでございますです。
ケダモノの下半身のために神々しいまでの頭脳を使うのが人間の宿業ということなのでしょうか。
そして、
それはそれで美しくもありますです。