2013
08.17
08.17
旅行中に撮影した画像の中に、シシリーの男があったのであります。
苛烈な日差しの中、この男はハンチングをかぶり、扇風機に吹かれていたのでありました。
この東のはずれにある漁村は、日本なのかシシリー島なのかわからなくなるのでありました。
「ボジョルノ、シニョーレ!」
と挨拶したくなるのでありました。
コンビニもなく、むろんマックもケンタもございませぬ。
海兵学校の青年が坂道から駆けあがってくるような幻想を見るのでありました。
忘れようとして忘れてしまった人間のあるべき姿のような尻尾が、まだ息づいているのであります。
鉄路をうずめるように夏草が枯れ、それは遠い思い出へと続 く道のようにも思えるのでありました。
かような土が豊富な地理条件であれば、方位現象もカッキリと効果を示すでありましょう。
東京のごときコンクリートの街では、地面に特別なものを埋める「造作」が効くかどうかははなはだ疑問でございます。
いま私メは「奇門遁甲入門」の単行本のゲラをチェックしながら、旅行を振り返っているのでありますが、机上の理論と、画像のような生きた観察を同時にしなければならぬと痛切に感じるのでありました。
いい加減に始めた占いでございましたが、だんだんとその魅力から離れられなくなり、マジで断易や、四柱、そして遁甲を研究し、もしかすると…と偉そうに思うこともたびたびであります。
「私メのやっている以上の講義をしている易者がいるだろうか」と。
久しぶりの良い旅行でありました。
おそらく二度と来ることはありますまい。
これらの風景は私メの頭の中で増幅され、あるいは変化しながら別の風景へと生まれ変わるのでありましょう。
さあ、私メの夏は終わりました。
さらば、シシリーでありますです。