2014
01.31

近くの庭園を歩いていましたら、おやおや蝉の抜け殻をみつけましたです。

「心はずっと前に離れていましたよ」
なんて言葉を思い出しました。
「で、いよいよカラダも離れるのでありますね」
と申したところ、「ずっとこのままでいたかった」なんて不思議な発言を受けたのでありました。
ても、移せ身なのですから、ホントは霊魂として残って入るけれど、身は別の相手にあると言うのが正しいはずであります。

晩秋の名残を、春先に見つけるとは、なかなかあることではありません。
新しい何かが始まったころに、過去が追いかけてくることは、よくある話ですけれど、空蝉は春には不似合い。

春は出会いの季節であるということは、過去の濁情との決別を意味し、それは二股の季節なのかもしれませぬ。
新しい男との濁情が確固たるものにならないうちは、過去を切り捨てることは現実的には難しいことでありましょう。
濃密な快楽を被曝しては、つぎなる快楽が保障されるまでは不安なのでございましよう。

濁情から抜け出すには仕事や趣味ではなく、やはり濁情によってしか償えない特質を帯びているのでありましょうか。

そして遠い日に「そういえば、今日はあの人の誕生日だったかなぁ」としみじみと思い出すのでしょうか。
いえいえ、それは男の場合であって、お女性が思い出すのはイブとかバレンタインなどのイベントか自分の誕生日と相場は決まっておるようでございます。

春の日のまだ寒い近くの庭園で、なんとなく思っただけのことでありました。