2014
02.25

ソチのオリンピックも終わり、
「ああ、日本人は世界でビリから二番目の美女であったな」
という感想が残るのであります。

AKBとかいう、どこが? と首を傾げたくなるような集団を、「カワイイ」のひと言で上位のランクにカテゴリーしてしまう日本人のニセ眼力が、こたびのオリンピックで、頭から水を浴びせられたように、バレバレになったのでございました。

やはりロシアのお女性はスゴイものであると、ほとんどTVを見ない私メにさえ伝わるのでありました。さまざまな偽装にコロッと騙されるのも致し方なき事かと思われますです。

右の画像のような麗しきお女性もかつてはおいでだったようでありますです。
この程度の美女は、今だって存在していることは、私メが保証いたします。

ところが、日本人は自分の眼力に自信をもてないご様子で、周囲に「いいね」と言われると「さっぱどいぐね」とは返せぬのであります。

朝からドラマを見ていることが原因かもしれませぬ。ドラマはすべて嘘であります。
そんなこと知ってるよ、と言いたいでしょうが、嘘をホントだと受け入れ、残酷な現実から顔をそむけているのが現実なのであるような気もするのでございます。

真贋を冷静に見なくては、幸運を掴むことはできませぬ。
これは占い以前の問題なのでありますです。

ジャーン!

しあわせ工房NONNAで、かようなブレスを扱いました。
先々週あたりからUPしておりますので、ご覧下さいまし。
「ニセモノだ!」と口をひん曲げているのではありますまいか。

真贋について語ったことは、このブレスに自信を持っているからなのであります。

偽物を扱うのであれば、そんなことを匂わすことをUPするはずがございませんです。

効果があるかどうかは身をもって体験してもらわねばなりません。たかがブレスでありますから、宝くじで五億円の当選を望む方がどーかしておりますです。

が、たかがブレスでも、ちょっとした効き目はあるのであり、そのちょっとした効き目から人生が好転するものでありますです。

AKBのメンバーに心を傾かせているならば、そのお方は真贋を見極める能力がいささか危のうございますです。
右上の「しあわせ工房NONNA」をクリックして、眼を清めることも必要かと存じますです。

2014
02.24

新幹線の窓からの眺めであります。
この橋が北上川にかかる「開運橋」。
画像を見るだけでも開運するカモであります。

ともあれ、今回のイベントは過ぎ、過ぎてしまえばまるで夢のようでございますです。

未来と過去の中間にある確かなもののはずの「今」はいったいどういうものか、思考するだけで今は過去へと流れてしまうのであります。

時は、惑星の動きによって人間が編みだした仮定の観念なのでありましょう。が、その時間にお金も仕事も勉強もすべて支配されているわけでして、そう占いも時間と密接にかかわっているのでありますね。

「あんや、若ぐて羨ましなはん」と私メとて言われたことがあるのであります。

が時間という観念がなくても年老いてしまっている自分にいささか慌てますです。
うら若きお女性の生き血を吸うという魔女の気持ちを理解してしまうのでありました。
みずみずしい二つに割れたお尻に顔をうずめ、犬のようにその甘い匂いを心ゆくまで我が身に取り込みたいのであります。
ゆで卵のようなお腹に頬をすりあて咆哮したい気持ちもございますです。
若い頃には思いもしなかった衝動でありますが、すこしも恥じるところはございませぬ。そのような姿態に嬌することを優先させる未来はもはや始まっているのでありましょう。

ロメオはいま私メの、それこそ腹の上で私メが生涯のしやわせだとついに掴んだ境地を、「知らなかったの?」と言わんばかりに横目でカメラを見ているのでありました。

「犬畜生以下」とは悪口の一つでありますけれど、犬畜生以下のところにしやわせはあるのでありましょう。

2014
02.23

久しぶりの慶事でありました。
うちつづく法事の連続。呪われた一族であるオノ家のおかげで葬式において誰にも負けない知識と段取りを身につけてまいりましたが、慶事となるとかえってまごついてしまうのであります。

麗しき式典が華麗に盛り上がると、これは不幸のイントロではあるまいかと、過去のおぞましい記憶がよみがえるのは、自然に身についた、不幸に対する用心の姿勢カモしれませぬ。

花婿よ、どうか酔っぱらったりせず、舞い上がったりせずに、式典をとどこおりなく済ませてほしいと思うのでございました。結婚式でべろべろに泥酔し、一年とちょっとで、発狂した叔父のことが、記憶から顔をのぞかせるからであります。

結婚式も知らぬうちにいろいろと工夫されておりまして、花婿花嫁が退場する際に、無数の鳥の羽を吹きあがり舞い降りさせる機械が揃えられ、ちとびっくり。
田舎者が都会に出た如き驚きなのでありました。

鳥の羽は、しかし幼き頃、家で鶏を飼っておりまして、その鶏小屋に猫が侵入した時にも、小屋の中は鶏の羽が乱舞していたのであります。反射的にそのことを思い出すのも、やはり葬式慣れしている証拠でありましょう。

会場を移しての披露宴は四時間以上にも及んだのでございます。
老母は孫の披露宴なのに、
「そろそろ飽たぁ」と車椅子にのせたむくんだ脚をもむのでありました。

すこし酷じゃありませんか、もっと祝ってあげたらいいのに、あんまり不吉な事は書かない方が…とお思いのお方がいるかもしれませぬね。

分かっております、重々に分かっておるのであります。

が、ここで「いがった、目出てがった。良き結婚式だった」とはUPできませぬ。
当ブログをご覧のお方に、もしも結婚式に対して面白からぬ感情を抱いている場合がございますです。いや、結婚に対する忸怩たる思いを胸に沈ませているお方は意外に多いのでありますです。

しやわせな時こそ、周囲への配慮が大切である。この姿勢の蓄積がやがては幸運へと導いてくれる基本かもしれませぬ。それを語りたかったのでございますが、どーもうまくいきませぬ。