2014
10.07
10.07
『みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我われならなくに』
河原左大臣
一般訳は「陸奥の信夫の里で染めた乱れ模様の布のように私の心は忍ぶ思いで乱れています。あなた以外の誰のせいでもない私ですのに」
まったくワケが分かりませぬ。
河原の左大臣は源融が本名。
天皇の下が太政大臣。その次の身分が左大臣でありますから、なに不自由のない幸運児であります。
河原の院に住み、海水を毎月石油缶で三百個ほどを難波から運ばせて、塩釜海岸に似せた庭園の池に注いでいたと言いますから、それはそれは大変な大金持ちでもありました。
となると、あとはお女性との快楽にしか興味は向かないのは言わなくても分かりますですね。
或る宴会の翌朝に、かんざしの玉が落ちていたので、踊り子さんたちを呼んで「誰のじゃ?」と尋ねましたが、だれも「私のです」とはいいませぬ。
そういう恋のキッカケ作りはいまも同じであります。
で、源融はどうしたかと申しますと、「さらば、なべてやあはれと思わん」、つまり、「ならば、全員とイタシますですよ」と答えたということ。
さて、百人一首の正しいエロ解釈は、
「みちのくの しのぶもぢずり」とは、
「ちの字、くの字、しの字」を書くように、お股とお股を擦り合わせよということなのであります。
そうすれば「未知の国にでもいったかのような快楽に我も忘れて乱れ狂えるよ」という性教育的な歌なのであります。
お女性も騎乗位で頑張る時は、源融の教えを思い出し「ち」の字、「く」の字、「し」の字などをお試しになるとヨーござんすですよ。