2015
02.22

春の前が、季節の中で寒いよーな気がいたします。
真冬の吹雪の日の方が、諦めて寒さを堪えられますが、もう少しで春だというときは期待と現実にギャップがあり、どこかに行こうかという気持ちも萎えてしまうのであります。

モリオカに滞在しながら、それをつくづく知りましたです。

何ごとも「あと一歩」は、あと三歩分の忍耐力が必要なのかもしれませんね。

たまにいくバーが火事でダメになってしまったことも寒さを感じさせる要因の一つかもしれませぬ。
いつもなら野次馬になって焼跡を見に行くはずでありますが、それも億劫でして、自室でボンヤリと古い雑誌を眺めているばかりでございます。

城崎温泉の火災といい、こたびのバーの火事といい、これは何かの予兆とも申せましょうか。

夢判断でいえば、火事は「情熱」とか「欲望」の象徴でして、「繁栄」という意味に繋がりますが、トラブルの予兆でもあります。
自分の見知っている人から「火事=トラブル」をもらうという凶兆にも気を付けるべきかもであります。

それにしても寒いと感じつつ、火事のような熱を伴う現象に見舞われるのも、思えば不思議というか奇妙というか、面白いモノでございます。

しかし素敵なバーだったのでしたが、白昼の画像を眺めますと、小汚いアパートを外見だけ飾った場所だったのかと、頭から水を浴びせられたようになるものであります。

ラーメン屋の出前のバイトをしていたときに見た、ドアから顔をのぞかせるお水のお女性のお顔に似ていますが、お水のお方はそれでも艶めかしいのでありましたが、この現場写真はちと残念でございます。

なじみの店は、これで三軒しかなくなりましてございます。
イイ店にあたるまで時間と費用は相当なものでありますから、そういう意味でも残念無念。

このたびのモリオカでは文鎮のように不動なのでございますです。

2015
02.19

父親が死んでからだいぶ経ちますが、毎月のように郷里のモリオカに足を運んでおります。

以前は夜には飲みに出かけましたけれど、それにも飽きて、では何をしているかと聞かれると、よく分かりませぬ。

ただモリオカは私メが油断してしまうスポットということだけは確かでございます。下痢のとき、我慢しなければいけないのに、うっかりアナルを緩めるような油断の仕方でございます。
でありますから、いつも気持ちを引き締めておるつもりなのですが。

本日も、東京駅から、あえて、しかめっ面を維持してまいりました。

新幹線のなかった若い頃には急行で九時間余りかかったものですが、現在は二時間とちょっと。
しかし、時間ではなく、距離が問題なのかもしれませぬ。
そうして駅に到着しますと、意識は18歳の私メに戻っているのでございます。

足をひきずって歩く老人が、小学校の同級生だと気づくことも少なくなく、であれば、あの雪の日に別れた白いセーターのお女性は、どーなってしまったのかとホラー小説に迷い込んだ気分になりますが、意識は、そこまでは深追いいたしませぬ。

幻想の国に舞い降りることで十分に満足しております。

そして、腐った木材の匂いのする自室で天井の板の模様を眺めるのでありました。
今夜はポケットウィスキーが恋人なのであります。

2015
02.18

まずはお知らせからであります。

奇門遁甲「実践科」の受講のお申込みが予想以上に多かったので、会場を別に用意することにいたしました。

それで、あとほんの若干名(正確には二名)の座席がございます。
先着順とさせていただきますが、どーでしょうか。
奇門遁甲を実際にはどうやって使ったらイイのか。吉格凶格以外の使い方は?
「目的に合わせろって言われでも、銭っこ欲しいっつうごとしがねんだよな。それを目的にせばイイんだべが…?」
という数々の疑問が浮かぶはずであります。

そういうところを押さえていきたいのでございます。
お申込みは「お問い合わせからどーぞです。

知らぬうちに今年も梅花がひらき街角を折れると梅の花の香りが漂うのでございます。
しかし、梅花は春の幻惑でございます。
春であってまだ春ではないのであります。
悪い男、悪いお女性のようなものでして、油断すると体調を崩しますです。
雪もこれから降ることでございましょう。

たてまえの春。
ホントはまだ冬。

断易で用神を決める時に、この眼力は役に立ちますです。

親が来て、息子の受験を占ったとき、用神を息子だから「子孫」にとるのか、それとも「世爻」にするのか。

古来、数々の占例がございますが、実際には、ここで悩むのであります。

しかも決め手はございませぬ。

断易の永遠のテーマでございましょう。

机上のお勉強から離れ、たてまえと本音を見抜く訓練が必要なのでございます。

恋愛でも「あの人が死ねばいい」と占ったとき、単純に死ぬかどーかを占ったってダメであります。死ぬほど好きなのだということでございますから、その恋に苦しむその原点を見つめ続けることで用神が見えてくるのであります。

バカのように
「あの人は自分が好きか」ということと「あの人は浮気をするか」を別に分けて占断したって本筋は見えてきませぬ。
本質は、「結ばれるか?」ということなのでありますから。

ちと語り過ぎましたですね。