2015
04.14

私メの事務所は割合に広いのでありますが、やがてココに自分も含めて16人もが入ったとなると夏場は壮絶な熱暑地獄と化すことになるでありましょう。

新しく開講する奇門遁甲初等科の十傳スクールの話であります。
この数回のブログは十傳スクールのことに偏ってばかりで申し訳ございませぬ。

それでもやはり心配なのであります。
私メはほとんどトイレに立ちませぬが、一個しかないトイレはさぞ混みあうことだろうと、そっちの方も案じられてなりませぬ。

もう4月も中旬か。
奇門遁甲カレンダー下半期は、いま最終チェックの段階でありまして、5月一日から配布開始する予定なのでありますのに、いろいろなことに気が回って遅々として進みませぬ。
それでも「なんとかセーフ」という結果にはなることはなるのでしょう。

4月は発狂の季節。

どーでもイイことを悩んだり迷ったりする期間なのでございます。

恋も同じはずであります。
相手の気持ちと自分の気持ちを考え込むと、「愛されていない」と結論つけがちですが、では愛されるとはいかなるものか。
自分の我を通してくれる相手なら、愛されることになるのでしょうか。器の広い人として認めるのでありましょうか。

愛と考えるからわけが分からなくなるのであります。
濁情だのお遊びだと思えば答えは簡単でございます。
「ちゃんと遊んでくれる相手か否か」をチェック項目にすればイイのであります。
いま現在、遊んでくれて、そして1か月先も「まぁ、たのしく過ごせるだろう」というだけで十分ではないでしょうか。

「夏まで、そして夏の先も」と求めるから悩むのでございますですよ。

また16個の椅子を見回しながら、
「夏になったら考えよう」
と思うことにいたしましたです。