04.16
一年で二度の早春を体験したような、四月のモリオカなのでした。
庭には淡い色の花びらが恥ずかしそうにほころんでいるのでございました。
まさに乙女の季節なのでした。
そのかたわらで、今回の帰省の目的の一つである、味噌の仕込みをしているのでございます。
方法はいたって簡単。
味噌樽に塩をまぶし、そこに味噌玉を投じればイイだけのことでありますから。
が、この味噌玉が重いのであります。
なにしろ中腰で20キロほどのヤツを、樽のフチにくっつけないように落し、空気を出すために素手でこねるのであります。
右手はウンチがくっついたようにヤバつなくなりますです。
服にも黄色いヤツがくっつきますです。
「ダメ、もうダメだったら!」
とわめきつつ、その下で待つ快楽の扉を押し開くように、私メの指先は黄色い味噌の中でやわやわと動いてしまうのでありました。
最後に、樽の内側のフチえぐるようにいたします。
そうしないと味噌が完成したときに、樽にこびりつき味が濁るのであります。
汚れていない左手で撮影したものですから、何が何だか分からぬ画像になりましたが、これがまずは樽一つ完成ということであります。
八月になると白っぽい味噌として芳醇な香りを楽しませてくれることでありましょう。
何ごともそうかもしれませんですね。
お勉強も濁情も、寝かせることが必要でございます。
ただ味噌は経験則から四カ月待てばイイのですが、お勉強や恋は熟成までの期間が分かりませぬ。
そして熟成すればイイというものでもないことも多々ございます。
今しかないというケースの方が多いのかもしれませぬ。
待っているうちに熟成とは別に、タイムリミットが来てしまう場合もありますから。
心とカラダが別々のものだとすれば、熟成は心の領分でございましょう。心が熟成した時には、カラダは退化してしまっているものでございます。
老いさらばえたカラダを寄せあいながら「あのとき、もしも勇気があったなら、私たちの未来はどうだったのでしょうね」と語り合う男女がいたとしてもおかしくはございませんが。
八月に汗をかきかき、味噌仕立ての豚汁をすすることを、まずは期待することにいたしますです。