2015
04.17

モリオカは花の季節を迎えております。桜もコブシも一斉に開花し、庭先の枝を払った梅も日を浴びて、花びらをひろげました。

はじめて気づきましたが、モリオカの桜は音という音を吸い込むのでございます。
おもたそうに咲いた桜の下を通ると、しんしんと降る雪の日のように、車の音も子供たちの歓声もとおく虚ろなのでございます。
「鴬宿にいかねっか?」
と老母にせっつかれました。
鴬宿は母方の祖父母が元湯をしていた温泉地でございます。
が、いまは廃宿地帯。

モリオカから一時間とすこしかかります。

小岩井の繋十文字からハンドルを左に切り、繋温泉を通り過ぎると茫々たる草原。カーナビには一本道の他、なにもうつりません。
やがてライオンズクラブの寂れ果てたゴルフ場。
そのあたりから巨大な温泉宿の廃屋が続くのでございます。

どんつきに、いまでも営んでいる長栄館だけが残っておりますが、タクシー屋も寿司屋も錆びたトタン屋根の下で廃業しているのであります。
ネットで「鴬宿温泉」と検索すると、華やかに営業しているように記されていますが、真っ赤な偽りであります。幽霊屋敷ばかりが軒を連ねているのが現状でございます。

以前は角屋旅館と看板を出していたそうでありますが、右側の建物が、母方の伯父が最後まで守っていた旅館だということであります。
すでに青山旅館の名残すらないのでありました。
「いがった、いがった、桜が咲いてなくて」
と母が申しました。

いかにも、廃館の満開の桜花はあまりに似合いすぎておりましょう。

何十年も前に関係した濁情の相手と、夜桜の中で再会したといった按配かもしれませんです。

時を経て、10年後に、こんどは一人でこの温泉街を、きっと訪れることになりましょう。
そのとき老いた私メの目に、どのように映るか。やはり桜の季節なのでしょうか。
いや、やはり桜の季節ではなく、霙の降る薄暗い日であることを祈るのでありました。

ふと、やわらかな唇の感触がよみがえったのは、どういう記憶の回路によるものか、そのワケを解析するよりも、そのやわらかさを消さぬようにと、ふたたび桜の花の盛りのモリオカへと進路を戻したのでございました。