2015
09.08

西の窓を眺めつつです。
雨に日は雨の気があるものでございます。
うつうつとした性欲を醗酵させる気とでも申しましょうか。

西の気を受けることによって秘伝を語らずにいられるのかどーかは分かりませぬが、
本当に役立つ秘伝は、それはやがて秘伝とはならず、原則となってまいるのであります。

が、役に立たない秘伝でも、それを覚えておくことで占いの全体像が分かるのでありますから、それはそれで価値あるものであります。
たとえば断易の納甲の秘密がソレでございましょう。
乾為天の卦は、なぜ「子」からはじまるのか。坤為地の初爻が「未」なのはなぜか。はたまた火珠林とコク納支は「離」と「兌」が異なっているが、その理由は。
これらは別に知らなくてもイイ秘伝でありますが、知ることで術師は一皮むけるのでございますです。

しかし、秘伝のさらなる奥は、もはや言葉や文字では伝えられませぬ。
料理のようなものでございましょう。
同じ材料を使っているのに味に決定的な差が出るのと同じ感じでしょうか。

剣術のように陰流があるのなら、「じつはね…」という裏技があるのでありましょうが、いまのところ占いに陰流はございませぬ。
いや、それらしきものはございますけど、いまのところインチキとされております。

とにかく最後の奥義は各自で体得することになるのであります。
しかし、師匠とは違った場所に出るのであります。
師匠の悟りが野原だったとすれば、弟子が地中を掘って進んで出た場所は砂漠ということになるのであります。

この瞬間、師弟関係は解消され、ライバルとなるのであります。

ちと坊主のようなお話になりましたですね。
けれど、これはスケベの分野でも同様でございますよ。
男は過去にお女性から教わったことを、若い子に教えるのでありますが、「分かった!」と境地に達したその若いお女性は、過去のお女性のものとは違うのであります。
男は新しい悦びに感動するのでございます。

と、最後は雨の日の西の窓の気のとおりに収まりましてございます。
これでよし、これでヨシ。