2015
10.13

とあるカフェの50周年記念の品なのであります。

じつに精巧に作られておりますです。
手に取ると採算を度外視して作られていることが分かるのであります。肉球や睾丸まであるのであります。

こーいう作品をみていると、またまだ世の中は捨てたものではないと思うのでありました。

オリンピックにしても何にしても経済効果ばかり狙い、利権を貪ろうと集まる人々にウンザリしておりました。
音楽にしても絵画にしてもすべて盗作ギリギリ。
ヒット商品があると、こぞって柳の下のドジョウ探し。

IS国に1兆円で軍師として雇ってもらい、世界を破壊の渦に巻き込みたかったのでありましたが、しばしの間は我慢できそーであります。

物語が動き出しそうな5匹の猫。
ナントカなりそうな気がいたします。

いろいろと面倒なことがございましたけれど、それらは愚かしい欲が絡んでいたからかもしれませぬ。

すべての目標は、絶対に叶うことはないという知られざる運命の原則がありまして、それでも途中までは上手くいくわけで、最後の一歩を踏み外すのでございます。待ち人は来ないというのも、運命原則の一つであります。

それが何であれ、強く念じることは運命から嫌われるそーであります。
どーでもよいと思っていれば願いは叶い、待ち人は時間通りに来るのでして、大切なことは良いモノを鑑賞する心かもしれませぬ。
このひとときを楽しく過ごそうという気持ちがあれば、とんでもない相手と出会うことも夢ではありませぬ。

「もういい加減、イイ年なのだ」と濁情に背を向ければ、ニャオーンと横町から胸に飛び込んでくるのでございます。

大切にされたい、大切にされる権利があると思っているうちはダメかもですね。
以前は良かったけど、最近はつまらないと批難すると、ますます世の中はつまらなくなるわけでして、世の中は変化して当然なんだと諦めてしまえば、新しい見方が見えてくるのであります。

古書に「無望望」とありまして、「望み無きの望み」と読みますです。
淡い期待こそ、幸運を呼び込む姿勢であるようであります。

この猫も、「いいなぁ」とカフェで見かけましたところ、偶然にプレゼントされたので、ちと驚いた次第でございます。