2016
07.12

三陸のホタテが老母から贈られてきましたので、まずは刺身で。

津波にやられてから、三陸の海の幸は、どこか違っていましたが、やっと「ああ、この味だ」と復活したよーであります。

五年前の、すさんだ町並みが思い出されますです。波をかぶり、足の踏み場もないほど、壊れた家々の家財が散らばり、とんでもない場所に車軸の曲がった車が放置され、海はテトラも岸壁もなにもかも廃墟と化しておりました。
生存者たちは、みんな瞳孔を真っ黒に開ききり、これは夢だろうという表情で彷徨っておりました。
命の軽さがぶっ壊れた町に、かろうじてひっかかっているよーなものでありました。

外側のお方たちは、復興とか絆とか調子の良い言葉を並べ立てて野次馬となっておりましたけれど、食わねばならぬし、たれねばなりませぬ。歯を磨かねばならぬし、セックスも必要であります。服を着たり風呂につかったり、勉強や仕事も必要でありましょう。基本的な最低の生活を維持した延長線上に、今があるにすぎませぬ。
誰も助けてはくれません。
応援とか称して芸能人がわいわい騒ぎにきて、政治家がきては何やら演説しては、それらに利用されつつも「しやねしやね」と苦笑いするのであります。

津波の引き潮に車ごと流され、行方不明になったまま五年たって、「あの人はホントにいたんだべか」と生存した実感も薄らぎ、「はじめったらいねがった人だったんでねべか」と頬っぺたをひねったりするのでありましょう。「わだしが愛した人はマボロシだったんでねべが」と。

ホタテの味は戻りました。
「うめがったよ」
電話いたしましたら「あたりめだえんちぇ」と老母が受話器のむこうから笑うのでありました。