2017
04.07
04.07
世界の何処かに、自分を待っている人がいる。
これは確かなことかもしれませぬ。
生きることに迷ったとき、あるいはパワーが切れ、なにもかも面倒くさくなったとき。
占いを勉強して、ふいに虚しさにおそわれ投げ出したくなったときに、「自分を誰かが待っている」と思うと、ヤル気とパワーが復活するものであります。
お金を儲けるために、何かをしようという動機は、いがいに挫折しがちであり、自分の誰にも語れない不幸や、性格の醜さや、悪徳の数々は、じつは世界の何処かで自分を待っている人を鼓舞するために与えられた財産かもしれず、それを占いという手法によって可能性をリアルにする強い力となるよーであります。
道半ばで倒れたといわれるお方を調べてみますと、面白いことに、事業などではたしかに道半ばではあっても、ご自分の与えられた使命をやり終えたケースが多いのであります。
むろん、そーでないこともございます。
この花は何のために咲いているのか。
種を継続させるために咲いているのでありましょー。
が、私メの目には、奇門遁甲造作の材料として咲いているとしか思えない時がございます。
お女性との出逢いにも同様なことが申せますです。
そんなところで咲いていていたのか。
私メのこれまでの無駄だった行動は、キミと出逢うための紆余曲折だったのかと。
「気づかなかったなぁ」
「おそい、ニブいぞ」
十傳スクールの先にあるものを、最近、考えさせられているのであります。