2017
09.03

空腹が極限に達し、藤沢で東海道線をおりて、ジンギスカン屋に飛び込んだのであります。

十傳スクールでは昼飯抜きには慣れているのですが、秋なのでありましょうか。腹ペコで目が回ったのであります。

どこでも良かったのでありました。鎌倉山のステーキでも、フグでも、牛乳ラーメンでも、胃袋を満たしてくれるものならなんでも。安かろうが高かろうが、とにかく何でもいいから食いたかったのでございます。

「じゃんじゃん持ってきて」
と七人前と白米とスープ。
平らげましたです。

美味かったのか、不味かったのか
記憶しておりませぬ。

ふと、思いました。
「不味い、マズイ」
と言い合える関係は、しやわせなのではあるまいかと。

「おいしーっ!」
金切り声で歓声を上げたり、「最高!」と高い料理に舌鼓を打つのは、まだまだ未熟なのではないかと。

「不味いよ、これ…」
「味、落ちたね…」
と言い合える共有感。

あるいは、手料理を、
「すこし甘ったるいよ」
「煮込み方が足りないな」
こう言い合えるのは、じつはしやわせな関係かもしれませぬ。

古老となり、誰かの世話になった時、はたして「不味いよ」と本音を言えるかどーか。

出されたものを黙々と食うか、遠慮して「ありがたいです」と別な意味で感謝したりするのかもしれませぬ。

祖母が生前、私メの母の料理を「いつも美味しい料理を作っていただきありがとうございます」と念仏のように繰り返していたものであります。
母は、腰を抜かすほどの料理下手。
黒く炭になった魚を弁当に入れられて以来、弁当は私メが作っておりましたほどであります。

ジンと肉とかいうジントニックを飲み干し、一人、店を後にしたのでございました。

本日の十傳スクール、奇門遁甲初等科は過酷でありました。