2017
09.13

とてもイイ夏だったのであります。
何が良かったと問われても、「はて…」と答えられず、言葉がつまってしまうのですが、のびのび出来たよーな気がします。

スイカも、桃も、トウモロコシも、カニもお酒も美味かったし、お女性は感じよかったし、適度に忙しくもあり、これ以上、何を望むものはないのでございました。

「忍耐」とか「我慢」が少なかったことが、この夏を最高にしやわせだったと感じる最大のポイントかもしれませぬ。

しやわせって、じつは我慢や忍耐の上に構築されているからであります。

「このイイ関係を維持するためには、多少の我慢は仕方ない」
これがしやわせを結んでいる核なのだろうと思ってまいりました。

我慢が苦痛になった時に、破綻が生じるのであります。
「わたしだつて堪えてたのよ!」
怒鳴ってはじめて、それまでの甘い時間が、空虚な抜け殻に見えてしまうのであります。

生まれも育ちも異なる二人が、同じ時間を共有することは、もともと無理があるのであります。が、濁情という磁力で結ばれ、そして快楽でつながると、逢わずにはいられなくなるようにオスとメスは作られておりますです。
我慢や忍耐を代償に、濁情の喜びに溺れるのでありますが、快楽よりも、忍耐の辛さが勝る時は、かならずやってきますです。

愛欲だけではなく、すべてのしやわせ、平和はここを原点としているような思えるのでありました。

そういう辛さが、この夏はなく、じつに爽快であつたことに、しやわせな夏であったと感謝しているのでございました。