09.19
34歳の手帖であり、そこには綿々切々狂々と日々の不運を嘆いているのでありました。
「無気力な日々が何日も続いている」
「おすまし(当時のお女性)に会いたい気持ちもするが、もう逢うこともないだろう」など記したと思えば、翌日には「18歳に希望と野心に燃えて郷里をはなれ16年。何も残っていない。敗者の疲労と無力感が…」と訴えているのでありました。
鑑定のお客様に、やはり同じよーなお方がございまして、なんとなく共感してしまうのは、こういう気持ちが心に残っているからなのでありましょう。
「死ね!!」
どーです、なんとなく安心いたしませぬか?
私メだって不幸のどん底だったのであります。
楽しくおかしく講義で、そのころの過去を語っており、後ろの方で「なに言ってやがる、金をふんだんに持っているくせに」と唇のはじをゆがませているお方を目にいたしますが、未来の見えぬ日々が、この手帖に語られているのでありました。
まだショックが現実のこととして実感しておらず、「今日が独立の日」などと元気っぽいところが哀れであります。
産婦人科と手を組み、新生児の命名でなんとかお金を稼ごうという未熟なアイディアを本気で考えていたところもオショシイところ。
このあと、ハラキリ占いでニューヨークに殴り込みに行こうと考えたのが、昨日のことのよーに思い出されるのであります。
そして、絶望に堕ちるのに時間は要しませんでした。
「オレは味方が居なかった」と語られておりますです。ジプシーだけが敵かと思ったら、ささにあらず。そこの団体から追放されたことを身に染みるのであったのであります。
「ムッシュー通信3月号」とありますから1993年2月なのでありましょうか。部数を80部だと記憶しておりましたが、なんと30部。まったく反響がないと嘆いているのであります。
その3か月後に仰天するチャンスが発生するとは予感もしていない…いや、そろそろ良い大運が到来するはずだと一縷の望みにすがっておりましたが…絶望の底辺で唸っているのでいたのでありました。
が、チャンスを命綱として何とか出来たのは、占いの知識だったのだと、それだけは有難く感謝しているのでありました。
断易、推命、遁甲。そして手相から人相まで、真面目に網羅していたため、雑誌からのどんな注文にも応じられたのであります。