12.04
が、以前のよーに、無邪気にかぶりつくことの出来ない私メなのであります。
取り皿は綺麗なまま。
足の親指が痛む、痛風におかされていまして、腹がへっているのに、おごそかに食うしかございませぬ。
が、お酒だけは…。
お酒のために、朝は野菜サラダ。昼食は抜き。というふうにカロリーというのか、よく分かりませぬが、そういう食事制限を自分に強いて、一滴のお酒を味わうのでありました。
これは地獄の責め苦のひとつかもしれませぬ。
肉を可能なだけたっておりますと、自動的に性欲も薄れていることを自覚いたしますです。そうなると、お女性を、オンナではなくヒトと見てしまいます。つまり、言葉に加減がなくなり、注意しないと、グサッとささる暴言を放つのではないかと恐れるのであります。
それは淋しいことでございます。地獄かもしれませぬ。
ジッと指を見ましたら、おやおや爪が伸びております。
そーいうことはかつてなったことなのであります。
柔肌に傷をつけぬよーに、つねに深爪をキープしてまいりました。
ああ、と夜空を見上げると、12月の満月が、煌々と光っておるのであります。
老いはじょじょにではなく、ちいさな体調の崩れから、ガタンと音を立てて始まるものだと痛感いたしておりますです。
が、しかし、濁情が白い灰になりかけますと、
「この人は、こういう人なのだな」
「なぜ、この人は、こういう棘のあることを言うのか」
「心に誰にも、自分にすら分からない透明な錆がついているのだな」
そういうことが見えてまいります。
貧しく、発狂しかけ、いつも病気がちで生きているのがやっとという人も不幸ならば、健康で、人もうらやむお金持ちのお方も、おなじく不幸を背負っている地獄の同志かとも感じますです。
十傳スクールで、だんだんと運命の仕組みが理解しかけて大きくうなずく人、「違う違う、もう言うな」と真実に直面し、イライラした顔つきに変わっていく人。
食いたい料理を前に、手をつけられない悶えと同じかもしれませぬ。
この度の痛風は、私メにとって幸いしているよーな気がしないでもありませぬ。