2018
02.24

「ツチノコ」と「さいかち」を誤解して、頭に入れておりました。

ツチノコは実際には存在しないマボロシの生物であります。
これを存在するものとして求め彷徨うよーな人生を送っているお方が多いのは知られざる事実でございますです。

「それは夢なのだ」
とは知らずに「努力すれば手に入れられる」と懸命に頑張るお方たちであります。
「あなたは富豪にはなれない。せいぜい小店主止まりの運命だ」
とは知らずに夢を見ているケースであります。

不幸の一種かも知れませぬ。

「おおっ、やっと手に入れられたぞ」
と、私メのようにツチノコを得たと得意になったら、それはサイカチだったという場合もございます。
錯覚のままでいられたら、しやわせだったかもしれませぬ。

サイカチをツチノコだと誤解して覚えていたワケであります。

しやわせは、じつは日常生活の中にあったという「青い鳥」のお話ほど、読後に虚しさを覚えるお話はありませんでした。
都会に出たら幸運に恵まれるのだと頑張ったけれど挫折し、結局は郷里で活躍の場を得たという漫画家のよーな話でありますです。

東京で、お美人と知り合い不頂点になっていたところ、そのお美人は自分と同じ郷里の町内の出だったと分かった時の、落胆と、安心感みたいなものでありましょーか。

「いいのだ、これこそが真のしやわせなのだ」
悟ろうとしても、孫悟空が天高く上り、証拠にと墨で目印をつけたら、それはお釈迦様の手のひらだったというお話のよーに、虚しさを伴うのであります。

人生は、そのよーな錯覚に彩られているのかもしれないと、温泉地で見つけたサイカチの袋を眺めているのでございますです。

2018
02.22

モリオカのあまりの寒さは、温泉で温まるほか道はないのでありました。
凍結の路面より、実家の車の暖房がなかなか効かないことの方が問題でございました。

それでも秋田との県境にある、温泉でぬくもり、上がろうとしては、まだまだ寒いと、なお温もり、そーやって出てから飲むコーヒー牛乳の美味いこと。冷えた瓶のガラスの口あたりまで、しやわせなのでございます。

都会での面倒な事柄が漂白されていることも、心の安らぎなのでございます。

「……!」
あることを思い出しました。
「あさって、命日だね、お婆ちゃんの」
「んだんだ」
と老母。

22年前に亡くなった命日を不意に思い出したのでありました。
が、明後日に、私メはモリオカにはおりませぬ。

売店での買い物を切り上げ、ふたたびハンドルをモリオカへと切り直すのでありました。

墓地は静まり返り、墓地の奥にある代々の墓までは膝が隠れるほどの雪をこいで行かねばならないのでありました。

墓石は雪の中に閉ざされ、その雪をかきあげる道具もございまぬ。
雪上に線香を四本手向け、
「23回忌は秋になるぞ」
と独り言を。

亡父の死からちょうど10年前に亡くなった祖母は、亡父よりも想い出が鮮やかなのであります。あれほど愛されたことはございませぬ。

その愛情がうっとうしくて、モリオカを去った私メでございます。

最初の本を出した時、まだ生きていて、
「本当にあんだが買いたのか。盗作したのか」
などと疑われました。

祖母にとって、私メは心配の種だけだったかもしれませぬ。
中学の時は「根性」と書かれた額を贈られたりもいたしましたから。
最初の本を出した翌年に亡くなったのであります。

温泉で温もった身体も冷えたまま、墓石も見えぬ雪原で、しばし、想い出に耽るのでございました。

2018
02.20

すでに、ウンコになって体外に出てしまって久しいのでありますが、そのイカの生前の姿なのでありました。

画像に納めてから数分後には、私メの手によってさばかれ、私メの胃袋に動き、もがきながら納まったのでありました。

数分後の未来も分からぬのが、生者の宿命であります。
ギャンブルなどは、未来が見えぬ宿命を逆手にとって、胴元がお金儲けにつなげるアイディアなのでございましょう。

が、もし数分後に死ぬと分かってしまうような未来を知る能力が備わっていたとしたら、正気でいられましょうか。

占いで
「お前は一生、その生活から抜け出ることは出来ないのだ」
と告げられただけで卒倒するほどの絶望にうちひしがれるはずだからであります。

いいえ、未来を知るどころか、自分自身を見てしまうのも絶望の正体でありましょう。鏡などでしか自分を見ることはできませぬ。肉眼で、街を歩く自分を見ることは出来ませぬ。
手は見えても、足は見えてもペニスは見えても、顔は見えませぬ。

自分の不在の世界を常に見ているだけであります。

たまに私メが誰かと談笑している画像をみると、
「へえーっ」
不思議な感覚につつまれますです。
「歯茎をむき出しに笑って、こんなに醜いんだ」
「うわっ整形がガッキリと分かってしまっているんだ」
などなど。
その羞恥的絶望を他人に訴えても、分かって貰えることではないのでございますです。

未来も知らず、自分自身も見えないこの世とは、いったいどういう世界なのか、ちょっと発狂しそうになりますね。