2018
06.22

一匹の蟻が群れからはなれ花の蜜を吸っているのでありました。

モリオカの実家の庭は、しばらく見ぬうちに雑草がはびこり、朝から草取りに忙殺しておりました。その手を休め、コンビニで煙草を買おうと、坂道の途中で、花とその蟻を目にしたのでありました。

真綿のような柔らかい花に包まれ、私メが近づいても無心に蜜をすいつづける蟻はすこし淫らでもございます。

「後悔することがあれば、それは子供にたいしてかな」
ひとりのお女性の言葉が思い出されたのでございます。
「やさしく扱われようと、そればかり考えていたから」
別れて、かなりしてから、ある会場で再会し、ティカップをまわしながら、お女性はホテルの庭に咲いている花を眺め、
「ほんとよ」

目を離したら蟻の姿をとらえることはできないのでした。

ありふれた出来事の一つだったのかもしれません。

郷里のモリオカの自宅付近の坂道は、溜池山王のティールームに続くような錯覚をおぼえるのでありました。ぜったいにそんな光景ではないにもかかわらず。

意識とは奇妙なものであります。
茅ヶ崎の坂道も、神楽坂の坂道も、団子坂の勾配も、一本につながって感じられることがございます。そして、意識の中ではどの坂道も長くつづいているのであります。

「電話してきた子? お菓子がどこにあるかって」
「もう二十歳になったの」
うす暗い室内で裸の胸をさらけ、しかし、声だけは母親に固まっていた光景も、いわば暗闇の官能の途中でちょっと振り向いた坂道ありました。
庭作業はエロチックなのであります。
昨年とは違う、三年前とも違う、毎年、異なるエロスが、おなじ庭に宿っているのでございます。

すこしずつ庭は変化し、だから庭も坂道の途中とも申せますです。

庭の向こうには納屋があり、いま納屋を壊し、開運増築を業者とつのっておりますが、それも坂道。
これ以上、屋敷を広げてどうするのだと思うのですが、家もまた坂道。
長い回廊をもうけ、不思議な階段を設置し、家は龍の如く動き出し、時という坂道をすべろうとしておりますです。

母親から戻ってきたお女性の、量感のある腕のわきで、テーブルに投げ出されたその携帯が二回転ほどまわって…。いまでも回り続けているのではないかという気がしてなりません。