2019
02.21

老母の確定申告書を提出したあと、祇陀寺という曹洞宗系のお寺の近くにある、うなぎやの暖簾をくぐりました。
暖簾はありませんけど。

二年ぶりでしたのに、覚えていてくれまして、特別のお部屋に案内されたのでした。

五臓六腑にしみわたる美味しさでございました。それと一陽にも効果的。

うんちくを語る以前の、
「うなぎとは、こうでなくちゃ!」
の美味さなのでありました。

廊下でへだった部屋から、ときたま会社員らしき人々の笑い声がそぞろ聞こえてくるほかは、何も聞こえず、鼓動が時を刻んでいるだけでございました。

私メはさいきん夜のモリオカの歓楽街から足が遠のいておりますです。
理由は、
「もは飽きた…」
でございます。

それは東京にいても同様でありまして、高梨臨のよーな女の子がいれば別の話でありますが、なんとなく会話が見えてしまい、店に入った瞬間から、気だるい後悔の念にかられるだろーという億劫さ、でございます。

が、うなぎを喰うと、
「誰かがオレを待っているのでは」
みたいな、危険な期待が体内から鎌首をもたげてくるのでございます。
「行ってみなければ、飲み屋の高梨臨がいないとは断定できまい」
と。
そして老母にいうのであります。
「今夜は何も食わなくていいよね」

タイムマシンというものがあるなら、10代の私メが、このうなぎ屋の近くで、ヤンキー娘の手を握りしめ、
「ボクと逃げよう」
駐車している車のドアを片っ端からあけようとしている自分の姿を見つけるかもしれません。

「いかん、いかん」
が、もはや、そこは深夜の飲み屋でありまして、濡れた舌をぬめらせ、上目遣いにのぞき込んでいる高梨臨が、私メの耳に吐息を吹きかけているのでありました。

2019
02.20

雪の少なかったモリオカの冬も終わりを告げているのであります。

雨が森を呼び起こしているかのようでございました。

春になると、若者は活動力をしめし、老者は、またひとつ老いるのでございます。

雪は暈を減じ、初冬に降る清らかな雪ではございません。
泥にまみれてしまった残骸でしかございませんです。

春の国道を運転しながら春の憂鬱にかられるのでありました。

「さよなら」
と去っていった少女が振り返ると、縮緬皴の浮いた老女になってしまっているかのよーに。
くたびれた笑顔からはゴムまりの弾力が失せ、「あとすこしで桜が咲くね」と言われても、桜の花ではなく老木の黒い幹でもあるみたいに。

トリカブトが欲しくなってまいりました。

老母から、私メと同年齢の近所の人たちが、
「死んだよ」
と聞かされ、うらやましくもあるのでありました。

春は忘れられる季節なのであります。
希望に胸を膨らます人々がいれば、その膨らんだ分だけ凹む人たちもいるのでございます。
そして、希望がやがて空虚なしやわせであったことを知って、次の世代へと絶望の種子は開花していくのであります。
花は咲くことが目的ではなく、目的のための手段であり、目的を終えれば散るさだめであると、誰しもご承知なのに、それでも、今度こそはと開花を待つのでありましょうか。

手のひらに、確実に存在したと思っていた乳房が、お尻が、つややかなお腹が、火葬場の灰と化すわけでありまして、その恐ろしい速度は老いてみなければ分かりませぬ。

市内に戻り、川徳デパートの地下で買い物をしました。
エレベータに同乗した老嬢の顔にかつての美貌の灰がまぶされていました。
「何階ですか?」
おもわず聞いてしまいましたです。

 

2019
02.18

ハッと我に返ったみたいに、春なのでございます。
すると来ていたお気に入りのコートが野暮ったく感じ、
「よく、こんな暑っ苦しいヤツを着ていたものだ」
なんて気分がガラリと変化するのであります。

そして、ビールなんて冷たくて敬遠していましたのに、ゴクリとやりますと、喉をふくいくと流れ込んでいくではございませんか。

まるで大運が変わったよーなモノであります。
四柱推命で10年ごとに運気が切り替わるのでありますが、切り替わった運気は、素早く運勢に影響すると言われております。

まさに、あるひ突如として春の日差しを浴び、気分が一瞬にして変化するよーなモノであります。

それまで執着していた愛欲でも、「ハッ」と冷めてしまうのであります。

四柱推命初等科の講義のお手伝いをしていただいているA先生も漏らしておりました。
「急に、自分はここで何をしていたのだろう?」
と思いましたと。
講義の最中に、夢から覚めたよーに、「この人たちは何なのだろう。そして自分は何をしているのか」と、占いをボードに書いている自分が信じられなくなるということでありました。

私メにしても、それはよく経験することでございます。

受講している方々にしても同様でありましょう。
「占いだって? そんな根拠のないものにお金を出していただなんて。この春日和に自分という人間は…」
と現実に目覚めたような気分。

そーいう白けた気持ちをねじ伏せて、私メもここまで来たのであります。
何回かの大運に串刺しにされつつも、占いにしがみついてきた根性だけは、我ながら褒めてやりたいのであります。

しかし、春であります。春の次は夏…。
心重い季節を、いかにしてクリアしていくか、それが問題であります。