2019
09.22

関東にいる時には郷里を考え、いざ郷里に長く滞在していると関東に思いを馳せてしまうのであります。

画像の左の瓦の母屋は、やがて取り壊され、真っ黒い家に変わるのでありますが、そーなると瓦の屋根を懐かしんでも、もう手に触れることはできません。

それでも決めてしまったことなので、思い出を姿のない過去に封印する運命であります。壊そーと、とり残そーと、過ぎ去ったものは昨日の雲のように、二度と還ってはこないことなど知ってはおりますです。

別宅で、来週に迫った特別講習をまとめつつ、ふとバイパス側を眺めるとチェーン店の牛丼屋がとおくに見えますです。
向こうからも、その気になれば、こちらの窓を遠望できることになりますが、よほど暇なお方でなければ目を向けることもありますまい。

「どーして、こうなったのか」

ふと、逢わずに久しいお女性の面影が、頭を過ったのは、PCの打ち込みに疲れたからかもしれません。

すき屋にはほとんど入ったことがなく、が、その看板を眺めたら、そのお女性のことが頭に浮かんだのは、おそらく関東が懐かしい、そろそろ戻りたいという気持ちがあっての、変化球なのでありましょう。

昨日の雲となってしまえば、時間を戻すことも不可能であります。いわば安全な記憶にあそんだわけでありましょー。
愛すべき時に、べつの濁情を振り返ることと、郷里にいて関東に思いを馳せるのとは、同じ根っこからの私メの習癖と考えれば、頷けます。

台風が過ぎたら、青い空に浮かぶ雲をおいかけて関東へと向かうつもりであります。