2019
11.08
11.08
はやく散りたいと聞こえているよーに、私メには聞こえる11月の薔薇が、庭先に息づいているのでございました。
もう何も見たくない。
何も聞きたくない。
感じたくない。
誰にも見られたくない。
ひっそりと花びらを散らして、しずかに土に眠りたいのだと。
見れば花びらの端から無残が始まっております。
先はないのよ…。
醜くなる前に摘み取って捨ててください。
枯れた花をいつまでも飾っておくと運気が下がると言われておりますが、いままで美しい、可憐だと鑑賞していた花を枯れかけているという理由で捨ててもイイものか。
いやいや、美しかった花に対して失礼だから、枯れ始めたならば捨てるのが優しさというものだ。
ふたつの矛盾した意見は、あくまでも他人の目でありましょう。
私メはバラのお話をしているのではございませぬ。
紅蓮の炎をあげながら焼け落ちた首里城を言いたいのであります。
城が燃えるというのは、もしも城に意識があるのなら、
「本望」
ではなかったのかと。
明治維新のおり、明治七年だったかに盛岡城は解体されました。
廃材は二束三文で売られ、風呂屋の薪にされたとか。
その後、30年間、城跡は放置され、竹矢来で立ち入り禁止。
啄木が明治37年だったかに「不来方のお城の跡に寝ころびて 空に吸われし十五のこころ」と詠んだその城跡は、草ぼうぼうの廃墟だったのであります。
旧士族の心の支えを奪う政策だったのでありましょう。
解体されるより、燃やされたかった。
会津の鶴ヶ城のように鉄砲や大砲で穴ぼこにされた方がしやわせであった。
枯れかけた花に火をつけて燃やしたら、それが薔薇の本懐かもしれないと思いながら、そっとその場を去ったのでございました。