01.26
ある温泉施設で湯上りに岩手牛乳を飲んでおりましたら、
「イクラさま。イクラ〇〇子さま」
のアナウンスがございました。
「えっ?」
飲んでいた牛乳壜から口を離しましたです。呼び名に記憶がございました。
「伊倉〇〇子は小学生の同級生の名でありました」
まもなくヨタヨタした老婆が娘に付き添われて、ベンチに腰かけていた私メの前を通り過ぎ、受け付けて娘が「イクラです」とお辞儀しておりました。
違いました。
いや、違っているはずであります。
私メの前を通り過ぎた老婆は同姓同名の人違いのはずであります。お女性ゆえ、同級生は結婚し名字が変わっているはずですし、だいいち、反抗的な挑発的な目の色ではなく…。
が、老婆は、ほんのつかの間、私メを、
「あれ?」
の表情を見せたのであります。
誰だったかな、いつぞや会ったことがあったような、という表情でございました。
名は知っていても見覚えのない老婆。
名は知らないが、見覚えのある老人。
高島は10代後半の頃、岩手県の岩泉の奥の炭鉱でリーダーとして働いていた時期がございます。
親父が病気で江戸に帰り、その後を引き継いだのでありました。
晩年、高島は、その地を再訪いたしました。実業家として大成した彼を村人は祝ったそうであります。
宴が終わっても、高島はどこか人待ち顔をしていたそーであります。
「小菊という芸者がいたはずだが…」
尋ねましたが、周囲は「さぁー」と首を傾げるばかり。
小菊というのは、10代の高島を骨抜きにしたお女性でありました。
諦めて帰りかけた時、後ろに控えていた老婆が、そっと
「わだすなら、さっきがら、ここに居りましたでがす」
よくよく見ると、鼻の欠けた歯抜けの老婆の顔に、かすかに当時の面影があったとかなかったとか。
年老いての自伝ですからすっかり信じることは出来ませんですが、岩泉にはなぜか高島姓を名乗るお方が多いのは事実であります。
イクラ老婆が、同級生の伊倉〇〇子さんかどうかはいまだ不明であります。
が、そういう年齢に達し、高島嘉右衛門のお話を身近に感じたのは間違いのない事なのであります。
十傳スクールで、すべての技術をお伝えしなければならない時期にきているのも、また確かでございますです。