2020
03.11

震災の3月11日が来るたびに思い出すことがございます。

「どーして電話してくれなかったの?」
の、ひと言でございます。
「愛してくれているなら、電話したはず」

結果的には、愛していなかったから電話しなかったわけです。

ふと考えれば、私メが岩手県出身だと知っているのですから、
「ご実家は大丈夫?」
などの連絡をよこすのは、そのお女性の方からではないか、しかし、その点を突くほどの気持ちもなく、突けば、ガミガミと騒がれるだけかと頭から追い出したのでございました。

そして9年後の、こんどは世界中を挙げての疫病であります。
まさか、
「便所紙は足りてますか?」
とメールするはずもなく、いえいえ、ただ考えただけで、存在を思い出したのは、このたびの非常時から連想がはたらき「愛しているなら…」のひと言に着地したにすぎないのであります。

すると、堰を切ったごとく、脈絡もなく、いろいろな言葉がウィルスの濁流となって、閉まっていたはずの心のホルダーから飛び出すのであります。
「いまピアノを弾きまくりたい気分」「どうせ私は8千円ではなく、4千円コースのオンナよ」「心理学には私の右に出る人はいないわ」

「わたし、とても心がデリケートだから傷つけないでくださいね」
これがトドメでございましょーか。
うへっ、と首をすくめたくなるお言葉でございます。

オショシー~!

男美容師とのおセックスのお話なども蘇ってきましたです。
「背中の肉が、こんなにあるのかと思うほど、後ろから激しくヤラれて肉が大揺れに揺れました」

お女性から、それぞれ、面白く興味深いお話を聞くのが、私メの趣味でありますが、そのお女性は、笑顔で別れた後に、激怒のメールが来るのが常でございました。そーいうこともあり、東海道線の車窓の景色を眺めていると、突如として「昨夜は、悔しくて泣きました。分かりますかこの気持ち!」のメール文が、架空の声音とともに頭に響いたりするときもございますです。

今日は、その3月11日。
でも、被災者を悼むゆとりはなく、いまや世界から仲間外れ。新型肺炎をまき散らす人種と疎まれているのであります。
いえいえ、以前から日本人は世界中の笑い者だったのが、いまさら気づいたわけであります。
自分たちは、朝鮮や韓国、中国とは別の国に住む、欧米人並みの人種だと勘違いしていたことが、黒人同様の目で見られていたことが解かったのでありますです。
チビ天は日本の象徴でございましょーか。

その醜い日本人が、恋をするなど、おそらく欧米人には理解できないことでございましょう。
しかし、するのですから恥ずかしい。ああ、恥ずかしい。
キスなどもするのでありまして、「やさしいキスをして」などのゲゲゲの音楽もありますです。

好きとか愛とか日本人にとっては、似合いませぬ。
ベンツなどに乗っている日本人に「わたしは、サルに乗られるために作られたのじゃない~♪」と、鬼塚チヒロの曲の替え歌が、クルマの悲鳴として聞こえそーでございます。

みんな武田鉄矢や鶴瓶だ。

声も笑顔も仕草も恥さらし。心の中もかっこ悪し。死んで惜しい人物一人もなし。

もういちど大政奉還して薩長政治から抜け出そう。さもなければ新型肺炎で一人残らず滅びよう。

なにもかもオショシイ次第であります。