2020
07.02

モリオカの新しい納屋には未整理の包みがあり、その中からアルバムか出現いたしました。

母方の祖父のアルバムであります。蛇腹式のアルバムの裏に、右の一枚が隠されておりました。

うら若き美女であります。
たった一枚だけ。

すでに百年が経過しているわけでして、どういう関係なのかを知る人はいないのであります。

ただ、この美女の一枚とも祖父の写真が折りたたむとキスを交わすように重なり合って貼られていたことに、想像力を刺激する意味があるよーに思うのであります。

祖父は、母の母であるフラッパーの祖母と結ばれたのでありますから、この美女と、私メとの関係はないのであります。

これが祖父であります。
昭和18年あたりには病死しておりますから、会ったことはございません。
墓石にその名があるのみ。

美女と祖父はアルバムの中で百年の間、くっついてい離れなかったのに、私メに何の影響も落とさなかったことが不思議でなりません。
実らぬ恋とはそーいうものでありましょう。

自分という存在を考えるとき、古い写真を眺めるのは無駄ではございません。

何のために自分は、この世に産み落とされたのか。

もしも祖父と、この美女が結ばれていたなら、私メはこの世には存在しなかった。実らぬ恋のために、私メはこの世に存在することとなったと考えたとき、
「この命は…」
自分の命でありながら、自分の命ではないとも思えるのであります。

そして、
次のページに、剥ぎとられた一枚が、主の写真がないまま痕跡だけを残しておるのであります。

大正十五年一月元日上海の写真館で写した一枚が失われているのでございますです。

祖父は上海で仕事をしていたということは知っておりましたです。美女とは上海で知り合ったのでございましょう。

百年後、体内をめぐる自分の血の底の、海鳴りに耳を澄ましているのであります。

しかし、いずれにしても、私メは、この命を占いという奇天烈なものに捧げている以上、この知識を、可能な限り、皆々様にお伝えしていくことしか道はないのであります。