01.22
命日を何日か過ぎていましたが、伯母の墓参をしてきたのであります。
墓までの小径は腿までの雪に埋もれ、雪の進軍でございました。
枯れた花が供されているところを見ますと、大雪の前に叔母の家族が七回忌をあげたようでございます。
「いい時に死んだのかもしれない」
得体のしれない不安に覆われて、それが不吉な予感を刺激するのでしょうか、最近の鑑定のお客様の多さに、やがて来る時代の狂気を教えられているのであります。
世間は、五輪で大騒ぎをしております。
老いぼれ政治家とか小狡いお女性政治家を非難しておりますけれど、もともと政治家をそこまで信用していたのかと、かえって呆れるばかり。
石原の目バチクリが、東京シティマラソンだの、五輪を提唱した時から、
「大反対」
すべてに反対なのであります。とにかく政治家をすこしでも信じたらお仕舞であります。
そんなに走りたくば、小学校の校庭を何百周か走れば良く、泳ぎたくば尖閣付近にブイを浮かべてコースを作ればイイと思っておりました。
疫病と放射能が蔓延しているのでありますし。
「いつ死んだらいいのやら…」
たどり着いた墓に手を合わせつつ、生きることにウンザリするのでありました。
墓場は妙に落ち着く憩いの場でもございます。
未来はなく、過去ばかり。
伯母も、若いころに、実家の2階に下宿していた学生と恋に堕ちたそうで、祖父と祖母に反対され、泣く泣く引き裂かれ、その復讐だと思うますが、禁教であるキリスト教に走り、藤沢の教会に逃げたところ、「あなたは仏教か沁みついている」と追い返され、モリオカに帰ると、家の敷居をまたぐなと命じられ、結婚は遅れに遅れ、4人のこぶ付きの市兵衛さんと結ばれ、子をもうけ、ところがその子が、家に放火。その時から正気を失って10年間施設暮らし…。市兵衛さんに隠し子がいたということを知っていたのか、知らぬのか。
一生はドラマティックでございます。
そういう過去をしみじみと、なつかしいものに語られるというのも、死んだ者の特権でありましょう。
思い出だけが脈絡なくぼろぼろと思い出されるのでございました。
長生きをしたって、過去をいっしょに、
「んだった、んだった。あのとき、あんだは…」
などと語り合える相手がいなくなり、
「その話は何回も聞いた」
娘にうるさがられるだけでございましょう。
皺だられになり臭い体臭を放ち、恋も出来ず、食事も固いものや甘いもの、塩辛いものも禁じられ、酒も飲めなくなる。
そうそうに死ぬのがイチバンなのは間違いございません。
「お金持ちになってから死のうよ」
などと自殺願望者の鑑定で語ってはおりますが、説得力に欠けるなぁと、自覚している次第でございます。