2021
04.22

モリオカに帰るたびに、誰かの命日なのでありました。
老母をともない墓参り。

まぁ、墓しかないのであります。
老母と映画を観たり、温泉というのも、気持ち悪いではありませんか。
「墓参りに行くべ」
で落ち着くのでございます。

今年の花は開花が早いとは言っても、関東より一か月遅れ。
いま、しずしずと咲く満開の桜が、境内に花を添えているのでございます。

「矢吹さんの墓がない…」
老母が、そこたけポッカリと空白の土塊を指さしたのでありました。
矢吹さんというのは、一月に一族の乱をおこした親戚であります。
父方の祖母の旧姓。

墓探しの名人である老母が、墓所を巡ったのでございましたが、
「ない」
墓群は、うららかな日差しを浴びながら静まり返っているのでございました。

「そーいうごどなんだ」
電話して、移動した場所を聞こうとした老母を、私メは思い留めさせました。
小野家と距離を取ろうとしている。
小野家の叔母や叔父たちに対する親の代からの怒りを、墓を変えたことであらわそーとしているのだ。
分かるよーな気がするのでありました。

「されかむなってことだべよ」
去れ、構うな。

そして、構わない態度こそが、理解ある姿勢かもしれないのでありました。
やがて、いつか、いや、そういう日は来ないのでありましょーが、
「じつは墓の場所を変えやんしてね」
と教えられたら、
「ああ、そーでしたかぁ」
知らないふりが、配慮であり、優しさなのかもしれません。

私メは、一族の確執を言いたいのではありません。
占いの鑑定をする際、お客様の悩みに対する姿勢を述べたかったのでございます。