2021
12.06

目つきの凶悪な男が、30年前の私メであります。

写真に日付が付されていないので正確なところは不明ですが、夏らしいですね。

どこかの家を訪問し、玄関先での撮影なのでしょー。

このころ、飲み屋に行きますと、同席していた土方のオヤジに、
「組の方ですよね」
恐れられた記憶がございます。

女将が、あわてて、
「そんな人じゃないわよ、目をみたらわかるでしょ。こんな優しい目をした男がね暴力団のわけがないじゃない」
ホローしてくれたのでずか、土方のオヤジと、その部下は、恐れたような態度で、カウンターの隣で縮こまっていたことを思い出しますです。

しかし、こうして引き出しから飛び出してきた写真は、やはり殺気をともなって30年後の私メを睨んでいるのでありました。
断易を学びつつ、その日の生活にも苦しんでいた頃の一枚であります。

どなたにも、「10年後の自分は?」などと高校生あたりに、学校で語り合ったことがございましょう。
私メの学年ではありませんが、一学年下は、生徒たちのひと言ずつを、それぞれ録音し、それをレコードにして卒業式に配ったよーでございます。

克也クンという後輩がおりまして、卒業して二年目に事故死したのであります。
その克也クンの録音を聞いたことがございます。
「10年後、僕はどこかで生きているでしょう。○○克也」

話がそれましたが、運命とは分からないものであります。
占いをしていなかったなら、自分はどーなったのかと背筋が寒くなりますです。

私メの命は、火炎土躁であります。ひどい命式なのであります。火だるまの命。
が、戌月ということで、戌には蔵干に辛があり、辛は命式を冷やします。そのわずかばかりの、溶けだしている辛に、すべてを賭けたのでございます。

他の生き方からみれば、易者などは底辺の底辺。誇れる仕事ではございません。
けれど、私メには易者の道しかなかったのであります。