2022
07.06

東京駅から神楽坂の事務所まで東西線を使っているのですが、途中の九段下駅で下車すれば、神保町に行けるのに、まったく足が遠のいておりました。
いや、たまにタクシーの車窓から、その街並みの変貌は知っておりました。

神保町は、想い出深い街。
むかしのお女性の如しなのであります。
1998年から2008年まで10年ほど、事務所を移転しつつも、神保町で仕事をしていたのでございます。

朝の4時に茅ヶ崎を出て、夜の8時まで、ひたすら原稿を作成し続けていたものでした。
飲みに出かけ事務所に連発という日々もザラでございました。
「完全燃焼…!」
嘘みたいですが、1日の終わりにシャワーで汗を流しつつ、そう声に出して言ったことを思い出しますです。

昼ご飯は、店の空く午後2時頃に取りました。
九州ラーメン替え玉5つとか、天丼大盛り二杯だのを腹に入れ、ほとんど運動はしませんでしたから、だんだんと体重が増え、なんと98キロにまで肥えたことは、はじめての告白カモしれませんですね。
太ったという実感はなく、
「服が小さくなったな」
程度の認識でありました。

母方のフラッパーの祖母の法事の時、叔母に、
「ずいぶんと肥えたんでないの」
なんて指摘されました。たしかに椅子で背もたれにもたれると、腹の肉が邪魔して股間部分が見えなくなるのです。98キロという数字も、伯母に言われた温泉地の体重計ではじめて目にしたのであります。古い体重計でして、乗りましたら、針がギュイーンと12時のところを指すのでありました。「体重計が壊れているのだ」と思いました。でも、焼肉を食うとぶっ倒れることが2度起きるまで、肥満の認識はございませんでした。
そして、指をちょっとぶつけただけで内出血しましたので、「これではなんぼしてもダメだべ」ということで、真剣にダイエットをして半年で30キロのダイエットをなし遂げたのでございました。

そーして、夏の大雨で2つ目の事務所が水浸しになったのを機に、いまの神楽坂に移ったのでございます。
なぜか、肥満時の私メの画像がないのが残念でございますです。