2022
08.20

宿命と運命の違いを、たまに取り沙汰されますです。
立命という言葉もございますです。

宿命を、私メは、「人は必ず死ぬのだ」と決めつけておりますです。
生まれてから死ぬまでの出来事を事前に知ることが占いだ思いますです。

昨夜、一本の電話がございまして、それは知り合いの「死」でございました。

その知り合いは、
「今年を越えることの出来ない定めである」
正月のあたり、私メは、複数人に語っておりました。

しかし、つい一週間前までは、とても元気でして、その姿を聞きまして、
「占いがハズれたかな?」
9月、10月、11月、12月まであと4カ月。
東洋占術では2月の立春をもって年が変わるのですが、一般的には今年と言えば12月まで。

が、たとえ元気だとしても、推命的には、大運が死期に入っておりまして、それも今年が、
「その年」
なのでした。

電話口では、突如、物を吐いて、そのまま意識不明…とのこと。
「やはりか…」
死の悲しみよりも衝撃よりも、四柱推命が的中したことに対する感動が大きいのでした。
易者の職業病とも申せます。

30年も占いをやっていて、ましてや、スクールを主宰して、「ハズレました」では格好がつかないというか、自信がへし折れてしまいますです。
過去の占い師には、自分で占った自分の死期を当てるために、むりやり自爆などして自死した例がいくつかございます。
職業病であったとしても、それほど大事なことなのでございますです。

「そーか、そーか、そーでなければならぬ」
なんどもなんどもうなづきを繰り返すのでした。

天命とは、事故とかは別にして、何しても、この年齢を越すことの出来ない歳なのでございます。

科学も医学も、不老不死の研究を究極としておりますです。
が、いまのところ、その成果はみられません。
ただ寿命を延ばそーというこころみのみ。

死ぬまで楽しく暇つぶしをすることを目的としたら、気が楽であります。