08.31
ついに8月とお別れであります。
暑さはまだまだ続くのでしょーが、8月が終わると気分的にホッとするのでありました。
色々な出来事があったよーですが、しかし、よく考えると、いや考えなくても、自分とは関係のないことがほとんど。
忌々しいマスクが外せないことが、ゆいいつ社会とつながっているのであります。
仕事をし、料理をし、茅ヶ崎と事務所とモリオカの実家を行き来するだけの、単純極まりない生活でございますです。
この夏での出来事と言えば、知人が連続して死んだことでありましょー。
「死んだか…」
なぜか反射的にお女性のおヌードを鑑賞したくなるから不思議であります。
私メに限ったことではないかもしれないと、限ったことかもしれません。
死ぬというラストと、スタートにつながる性行為を刺激するおヌード鑑賞は、心の中のどこかでつながっているに違いございません。
人の死に対してずいぶん鈍感になっていることは、いぜんのブログで申したよーな気がしますが、
「あの方が亡くなったよ」
「そーですか」
ほとんど心が揺れることがございません。
年齢的なことなのでしょー。
それでも、なぜかお女性のおヌードだけは求めてしまうのであります。
ネットなどを開き、「ふむふむ」と見入るのでありました。
そして、はじめて、
「淋しい~」
そんな切なさが心臓の奥から込みあがるのでございますです。
二次元的なおヌードではなく、ぬくもりと柔らかい肌を持つお女性を求めるのであります。
性欲にほかありません。
その性欲が、淋しさという感傷をもたらすことに、この齢になってはじめて気づいたのであります。
一人で生きられる強さは、性欲が衰えている弱さだったというワケでございます。
8月が終わることを、若かった頃の私メは、これほど歓迎していたであろーか。
ああ、淋しくなりたいものであります。
淋しくさせてもらいたいものであります。