2022
11.09

モリオカから運んできた段ボールの中に、高級紅茶がありました。

ただし、賞味期限が1992年1月。

30年前に、期限切れを迎えておりました。

飲んだか、飲まなかったか。

もちろん飲みましたです。
香りはやや飛んでおりましたが、味は濃密。
役に立たなくなった老人が、
「まだしっかりしているではないか!」
みたいな感覚でございました。

1992年と申しますと、たしか銀座ジプシーから追放された年ではなかったかと。
「もう、ムッシュー・オノは沈んで浮上できない」
だろう、と囁かれていたよーであります。
当時は、パフォーマンス占い師として、自虐的な占いをしておりまして、断易の師匠の鷲尾先生にも顔向けできない「恥」というものを感じつつ、それでも一つの光明ではございました。
その光明の梯子をはずされたわけですから、浮上も何も、そんな言葉ではあらわせない地獄に堕とされたのでありました。
なまじっか光の世界をのぞいただけに、その苦痛はいまでも覚えておりますです。

では、現在はどうか。
賞味期限はとっくに過ぎ、あたらしいアイディアが浮かんでも、実行する力はほとんど残ってはおりませんです。

ただ、賞味期限切れの、この紅茶のように、虫が発生していないところだけは救いかもしれません。

人生100年とか言われ、周囲を見回しますと、定年後のふらふら老人が茅ケ崎の午前中の街を、目的もなく徘徊しております。
それに比べれば、
「まだ、ましかな」

TVの話も、出版の話も、たまにございますが、もはや魅力を感じませんです。
功名心がほとんど退化しているのであります。
「このままが良い」
偽らざる心境なのでございます。