2022
12.10

画家クリムトは恍惚のお女性を描いたら右に出る人はいないのではないかと思うのであります。
「ダナエ」はとりわけの逸品でありましょーか。

幽閉されたダナエと交わるためにゼウスは黄金の雨となって忍び込むのでありました。
ダナエの父は、預言者から
「ダナエの子供に殺されるだろう」
告げられたため、彼女を青銅の塔に閉じ込めてしまうのでした。

金色の粒々は黄金の雨に化身したゼウスなのであります。

私メは、或るお女性からこの話を教えられましたです。
「なにを見てるのよ?」
私メはダナエの指先から目が離せませんでした。
ゼウスのペニスを握り亀頭に頬づりしているとしか見えなかったのです。

私たちはバーのカウンターの隅で、画集をひらいていたのであります。
淡い照明が、この絵の黄金の雨を光らせていました。
珈琲をいれるとき、熱湯をいちどそそぐと挽いた豆がキラキラひかる瞬間がありますが、そんな貴重な輝きでありました。

お女性はためいきしながら画集を閉じました。
「雨になってみる?」
どーして私メは、そのとき「なる」と言えなかったのかわかりません。
「ならない」
ヘルメットを外した時にお女性がやる仕草で、髪を左右にふり分けると、「あ~あ」と帰っていきました。
丸椅子が彼女のお尻のとおりへこみ、またもとに戻りました。

残り香をたのしみ、口紅が薄くのこったグラスを飲み干して、私メも店を出ました。

それだけであります。
赤坂を歩きますと、いつもその記憶が呼び覚まされ、もうお女性のお顔は思い出せませんが、クリムトの黄金の雨が頭の中に降りしきり、ひどく切なくなるのでありました。