2023
04.04

さいきん、立て続けに学生時代の知り合いの訃報がはいるのであります。
「そういう年頃なのだな」
と聞き流しておりましたが、それがお女性となると、すこし感慨が異なるのであります。

さいごに駅での別れた後姿が浮かんできて、
「あれが見納めであったのか…」
複雑な気持ち。どこか抒情をふくんだ、そして未知なる過去を空想するのであります。
エックスという「X」の文字が、男女の交錯という物語を刺激するのであります。
数か月付き合った相手が、どのよーな人生を歩んでいたのか。

若ければ、いつかどこかで会えるかも知れないという期待がございますが、そして、歌でも、♫そして2年の月日が流れ去り♫と歌えますが、2年どころか、そして40年の年月が流れ去っておることなどザラであります。

かつては私メの世代も『現代っ子』と呼ばれておりました。
それがじつに瞬く間に過ぎてしまうのであります。

「60歳か、70歳になったら、加茂川の流れを眺めながら、いまのことなんか話せたらええね」
みたいなことを喫茶店で語られたよーな気もいたします。
「オノ君は将来どんなにならはってるかなぁ?」
「考えただけでゾクゾクするわぁ」
「会ったかて分からへんわぁ、オババさんになってしもうておるやろし」

男より、お女性の言葉が、つい昨日語られたように覚えているのが不思議であります。

訃報でいちばん堪えるのが、同じ思い出に時間を忘れて喋ることのできる相手が消えてしまうことなのであります。
「ほんまに好きやったんよ」
「ぼくだって」
などと。