2024
06.09

東京は、そのむかしは江戸。
穢土と呼ばれていたことは、あまり知られておりません。

京都平安京の憧れの場所、浄土に対しての穢土なのであります。

まだ蝦夷たちが棲みつき、宮人たちからすれば、汚れた人種の住む恐ろしい場所として、忌み嫌われていたのかもしれません。

蝦夷たちは、その後、大和朝廷から追われ、北へ北へと逃げていくのであります。
そして北の果ての、青森まで追いつめられますです。

海を渡れば、そこは渡島。つまり北海道。
北海道にはアイヌ民族がおりますから、海を渡って逃げることはできません。
そこで蝦夷の多くは、大和朝廷の傘下に入ります。
これを「俘囚の民」と呼んでおります。

俘囚の民は、それぞれに分類され、「お前は一戸に住め」と、二戸、三戸、四戸、五戸、六戸、七戸、八戸、九戸と、いわばゲットーに封じ込まれるのであります。
こうして不服従はしても、油断すると何をするか分からない蝦夷民族を制してしまうのであります。

いま外国人労働者に対する処置も、この政策が適切かもしれませんです。
イケメンでも盗み癖の奴らは新一戸に、不細工だが手が器用な奴らは新二戸にとかであります。

さて、俘囚の民とならず、最後まで抵抗した蝦夷人は、まつろわぬ民として徹底抗戦したのでありますが、多勢に無勢。
捕らえられて殺されるのであります。
その殺し方がまた興味深い。
俘囚の民に穴を掘らせ、その中にまつろわぬ民を埋めて、上から踏みつける殺し方であります。
それが、青森の夏の祭り、「根蓋(ねぶた)祭り」であることは、以前UPしたと思いますです。
さかんに跳ね回る踊り。それは仲間たちを生き埋めにした上から踏みつける自虐的な行為が由来なのでございます。

が、そーしないと治安は守れません。
外国人どもが、これ以上、手に余るのであれば、良い外国人は「浄戸」、悪しき外国人は「穢戸」に封じる手段を用いる必要がございます。
そして、ふたたび鎖国。
まこと麗しい方法と存じますです。