08.25
「船の中で鑑定してください」
横浜の大桟橋は晴れておりまして、鑑定道具を背負った私メは、すでに汗まみれで、いささか不機嫌。他国なのに平気で半ズボンにサンダル姿の不作法な米人を睨みつけてばかりおりましたです。
たちまち機嫌が直ったのは、ご依頼のご婦人が思いのほかの美女だったからでございます。
お船に乗船し、用意された部屋に通されてから、ご婦人は3分に一度は「死」という単語を使われることに、私メはやがて気付き、
「どーして船でないと鑑定を受けられないのですか?」
と、尋ねずにはいられないのでありました。
「それは、もうじき死ぬからです」
答えにならぬ答えを聞き流しつつ、大運を出しましたら、あらら、本当に死期にあたっていて、しかも今年、死を告げる赤い矢が日主に何本も突き刺さっているのでありました。
断易で念をいれてから、
「癌を患ってらっしゃる。胃と肺あたりに」
「はい」
しかし、ガン患者特有の悪臭がしないのは、潮の匂いのせいでありましょうか。
「死にますよね」
「八割方は…」
私メは、占いの結果を、誤魔化すことをあまり得意といたしませぬ。
事業占でも出たままのことを、つまり「その信頼している人は、使い込みをしています」と断言してしまうのであります。
病占で、これは相手に致命傷を与える結果になっていたとしても、人はいつか孤独に死ぬのだ、あがいても、その事実だけはゆるぎないのだ、なんて考えているモノですから、「大丈夫ですよ」と空元気を与えることは出来ないのであります。
が、救いは、どんなケースでもあるのも、また真実でございます。
手術で回復したら、癌が消えていた例も知っております。
病気は治らなくても、余命を充実させることもまた救いの一つでございます。
自分の履歴を見つめることで、自分が何のために生まれてきたのか、そして何のために生きればイイのかが見えてくるのであります。
これまでの人生を邪魔な人間関係だの趣味だのそういうことを削り取ると、小さな種が残るのであります。存在の種であります。
やり残したことがあると思うのは本人の勝手でありますが、存在の種から見れば、死ぬべき時に死がやってくるのであります。
そして、存在の種をしることで、奇門遁甲他の方術を副作用なく操ることが可能になるのであります。
我々はお金や愛欲のために生きているよーに思いますが、案外と、それは錯覚であることが分かって参ります。
ご婦人は「そうです、そうです、そうなんです」と海の向こうを見つめたのでありました。「そうです、そうです」と。
「死ぬことに勇気が出てきました」
「しばらくお一人でお考えください」
すでに二時間が経過していたのであります。
また船上での来週の鑑定の依頼を約束し、私メは「次はカジュアルな感じでお願いします」と言葉を残し、用意されたタクシーで横浜駅へと帰路についたのであります。
※この鑑定を当ブログにUPすることについては、ご婦人から了承を得ているのであります。
この青い空と対照的に 重い内容の鑑定ですね
仕事とはいえ、鑑定結果を伝えるのが辛かったのではないでしょうか
人は日々、「愛」だの「欲」だのと 振り回されて生きていますが
そのような中でも 一人ひとりに「存在の種」が あるのですね
死を目の前にした ご婦人の
「死ぬことに勇気が出てきました」
この言葉に、先生の占い師として、人としての素晴らしさがうかがえます
本日の先生のブログ
言葉に表すことができないナニか、胸にくるものがあります
●十傳より→生物はいつか来る死を前にして細胞を震わせているにすぎませぬ。
私が錯覚している欲は、金銭、学歴、社会的な地位あたりだと思います。これらは所詮、親や周りの環境から影響を受けたに過ぎないのでしょう。
自分の存在の種は、まだ見えていないようで、頭のどこかで少し分かっているような気もします。これこそ錯覚かもしれませんが…笑
ところで、断易のサイコロは十傳スクールで購入できるのでしょうか?
●十傳より→十傳スクールでは断易のサイコロは販売しておりませんです。
了解です。
ここ2日くらい異様に眠かったのですが、護符のおかげもあるのか、本日とてもすっきりした気分で起きられ、また頑張れそうです。
個人的な話ですが、人間関係で、昨年知りあった人(友達の友達)で、何故か関わるたびにこちらの精神が不安定になっていたのですが、縁が切れたみたいで良かったです。
ブログを見て吹っ切れた部分も大きいので、ありがとうございます。
●十傳より→人との絆は可能な限り断ち切るのも正しいのであります。Lineに夢中になっている方々の気持ちが分かりませぬ。
先生、お世話になっております。
金銭欲、愛欲にマミレたい、独裁者になりたい、が私の生物行動の根本。が、何か違うというか、進む方向が都度、予程外の所に着き悩んでおります。存在の種の行動がそうさせているのでしょう。思えば危機的な時ほど実感があることがあります。
本日のブログを見て、普段なら、そういうことなのか!と思う所なのですが、理解が出来ないほどに深く、また、理解し得ない煩悩の塊の我には遠い。
存在の種の言葉を聞くには?そもそも存在の種とは我にも存在してるのか?
深い。有意義な悩みです。が、コレすらも浅はかなのでしょう。きっと。
●十傳より→こうありたいのに出来なかった、結ばれたいのに結ばれなかったというように目的を達成できなかった理由を探ると「そうかな…」という何者かの指令をおぼろげに見つけられるかもであります。カタワの人の存在意義でもよーございます。死ねなかった自殺未遂者の生命力でもよーございます。
小野先生お世話になっております。
かれこれ一ヶ月位まともにテレビをみていません。
その効果なのか、最近、時速50キロが自転車に乗っているくらい、
ゆっくりに感じるようになりました。時間の経過が緩やかになってます。
本来の生きるペースのことを考えていたので、今日のブログは兆しですね。
人生を振り返ると、不思議なことは結構あるように思えます。
導きのようなものです。でも明確な答えまでは見えません。
最近はステージが用意されたような(?)感じです。
自分の生き方は、夢は、このままでいいのか?…と思うときもありますが、
ここまで来たのだからと、今は走り続けようと思います。
●十傳より→人類をひとつの生命体として、自分はどこのパーツなのか…でありましょうか。
遁甲の立向か座山で延命措置はできないものなのでしょうか。
お金には不自由しない方のようですので、外国でも引っ越しさせるとか、
或いは庭に大掛かりな造作させるとか、何かないものなんでしょうか。
●十傳より→生存を願っていれば、それも可能なのでしょうけれど。が、天命に従がうことも悪くありませぬ。
存在の種って、本当の自分のことですか?
●十傳より→何のために自分はこの世にいるかっつうことでありましょーか。失敗ばかりしていたとして、なじょして失敗を繰り返すのか、失敗をさせて、自分に何を気付かせよーとしているのかというよーな感じでありましょうか。
僕はもうかれこれ30年ばかり破滅と転落を繰り返し、今に至るのですが今更奇門遁甲をするのは蟷螂の斧ですか?せめて天叢雲の剣となって悪運を断ち切れたら・・・。
●十傳より→遁甲という世間では「とんでも行動」と思われる術を使うことは、いわば、その目的を達成するための後顧の憂いを払うことなのであります。
理不尽な理由で女の集団から嫌がらせされて追い出されるをずっと繰り返しています。
これってわたしに何を気づかせようとしてるのか考えてもわからないんです。
●十傳より→かすかに憎まれ口というか、自我を出すと、そう言うことになりがちなモノであります。
面識のない方のお苦しみは想像を絶しますが、先生に鑑定をお願いされていらっしゃるということは、2割の可能性に願いをかけておられるのではないでしょうか?
どうぞ、赤い矢を引き抜いて生き貫いて頂きたいと、お祈り致します!
●十傳より→生きても、やがては死ぬし、同じことなのであります。が、2割ならば占いでの生存は不可能ではございませぬ。
えっ!自我を出すと良くないんですか?
ガーン。
それは何故ですか?
集団の中にいるときは、常に作った自分であり続けるということですか?
私は、だいたいの人が本能的に気づいてたり、知っていたりすることが、全くわかってなくて、驚かれるかもしれないですね。
●十傳より→相手は、おめ子殿が汲みやすい相手と舐めているわけであります。そういう相手と対する時は、低姿勢で絶対に逆らったり口ごたえしてはなりませぬ。可愛くないと感じ、イジメられるのであります。皮肉や口ごたえするなら、それなりの力を持つことが条件なのであります。善悪ではなく、これが世の中を生き抜く、運命学上の知恵でありまして、四柱推命の講義でもお話ししております。平社員が、少しでもトゲのある発言をした瞬間に、上司からパワハラされるのも同じ。
強いものには低姿勢、弱いものには救いの手を、そして同等の力を持つ相手に牙を剥きだすのであります。この処世術を会得しない限り、幸運は掴めないのであります。まだまだありますが…。
えっ!同等の人に何故牙をむけるんですか?
やられる前にやれ!ということなんですか?
●十傳より→ヤルなら、ということであります。
今までは、強い人に逆らって、同等の人とはとにかく仲良くして、弱い人には救いの手を、、でした。
ただ、、弱い人って案外強くて弱いふりしてただけで、実は舐められまくってるんですよね。
同等の人には、いつの間にか裏切られて見下されてますね。
なるほどなあ、と思います。
わたしが一番弱いんかもしれないですね。
●十傳より→弱いものに誰も同情はいたしませんですよ。英検など資格武装することであります。