2017
09.13

とてもイイ夏だったのであります。
何が良かったと問われても、「はて…」と答えられず、言葉がつまってしまうのですが、のびのび出来たよーな気がします。

スイカも、桃も、トウモロコシも、カニもお酒も美味かったし、お女性は感じよかったし、適度に忙しくもあり、これ以上、何を望むものはないのでございました。

「忍耐」とか「我慢」が少なかったことが、この夏を最高にしやわせだったと感じる最大のポイントかもしれませぬ。

しやわせって、じつは我慢や忍耐の上に構築されているからであります。

「このイイ関係を維持するためには、多少の我慢は仕方ない」
これがしやわせを結んでいる核なのだろうと思ってまいりました。

我慢が苦痛になった時に、破綻が生じるのであります。
「わたしだつて堪えてたのよ!」
怒鳴ってはじめて、それまでの甘い時間が、空虚な抜け殻に見えてしまうのであります。

生まれも育ちも異なる二人が、同じ時間を共有することは、もともと無理があるのであります。が、濁情という磁力で結ばれ、そして快楽でつながると、逢わずにはいられなくなるようにオスとメスは作られておりますです。
我慢や忍耐を代償に、濁情の喜びに溺れるのでありますが、快楽よりも、忍耐の辛さが勝る時は、かならずやってきますです。

愛欲だけではなく、すべてのしやわせ、平和はここを原点としているような思えるのでありました。

そういう辛さが、この夏はなく、じつに爽快であつたことに、しやわせな夏であったと感謝しているのでございました。

  1. 先生の「 幸せ 」の言葉、なによりです
    「 幸せよ 」
    過去にこの言葉を口にし、何度嘘をついたでしょう
    最近、幸せとはなんなのか分らなくなってきました
    きっと 不幸でないことが幸せなのでしょう
    遠い昔、スナック勤めをしていたとき
    お客様が帰るとき「 ありがとうございました 」と外に出てお礼を言っていました
    そのとき、酔った勢いで 抱きついたり キスをしようとしたりお客様もいます
    ある夜、いつも来てくれている カッコイイ大工さん
    私より 3つほど歳上でしょう
    外に出た瞬間、いきなり私を抱きしめて口づけをしてきたのです
    驚いた私は相手の顔を見ると、月明かりの下、いかにも幸せそうな男性の笑顔が
    その出来事から暫くして、事情があり そのスナックを辞めてしまいました
    それから1年と半年ほど経ったころ、知人たちとファミリ-レストランへ行った夜
    食事を終え会計へと向かっていくと 家族連れ4人がお店に入って来ました
    その中の乳飲み子を抱えた男性が、世にも悲しい目で私を見ているのです
    なんと、私に口づけした大工さんです
    その悲しい顔を見て私は不思議でなりません
    「 何故 ? いま一番幸せなときではないの ? 」
    今まで、あれほど悲しい顔をした男性を見たことがありません
    当時若かった私は、その悲しみの目の意味が分りませんでした
    相手が家族連れなので、礼儀上、知らないフリをしました
    あれから何年たったでしょう
    きっと今は当時のことなど忘れて、ナントカハウスの下請けの仕事をし
    疲れて帰ってきては奥さんの手料理で、仕事の愚痴を言いながら一杯飲んでいるでしょう
    それが 「 幸せ 」というものなのかもしれませんね
    また長くなってしもうた ・・・ すいません

      ●十傳より→男の夜の顔と昼の顔は別モノでありますです。

  2. 私の夏、何かと思い悩む夏でした
    先生ほど恵まれ充実した人生を送っている人はいない
    そう思っている人は大勢いるのではないでしょうか
    ご苦労は多々あるとは思いますが
    活力に溢れイキイキとお仕事をし、また更なるステップへ進もうとしています
    そんな先生です
    決して不幸であってはいけませんね
    誰よりも幸せでなくては

      ●十傳より→易者が病気や不幸や貧乏であれば、それは当たらない易者という証拠であります。

  3. 自分も我慢や忍耐は嫌いです
    好きなものを値段を気にせず好きに買い好きに食べ、好きに過ごしたいものです

      ●十傳より→そーなるとオデブちゃんになりますしね。