2018
11.08
11.08
ふと立ち寄った喫茶店がソレでありました。
喫茶店という言葉が死語になり、カフェにとって代わっておりますが、その喫茶店は、喫茶店という呼び名が似合うのでありました。
画像は、店主が、帰りしなに「どーぞ」と名刺とともに手渡してくれたハガキ大の絵画でありました。
九月十月の恐怖の月が明けた日でもあり、
「なかなかのところだ…」
と感動に近いヨロコビがございました。
いままで神田のガード下の喫茶店をくつろげる場所としておりましたが、またしても東京オリンピックに伴う都市再開発の魔手の犠牲となって閉鎖。行き場をなくしていたのでありました。
そして、なんと素晴らしい事に喫煙が可なのであります。
おもえば禁煙権が出始めたころから、世の中から自由が失われつつあり、現在はと言えば、もう息苦しくてならないほどではありませぬか。「良俗に反している」
「それは差別だ」
「モラル違反だ」
などと、いちいち煩い時代になっております。
堂々と煙草をくわえ、マッチで火をつける。
このふくいくたる自由と解放感。
しかも、その喫茶店は清潔な白壁と、絶妙な高さのカウンター。綺麗な珈琲茶碗が整然と並べられているのであります。
「ああ、イイ日である」
11月の陰鬱とした曇天をあおいだことでありました。
千葉のホキ美術館の美女絵画を思い出しました。
赤城神社周辺のボロボロなスナック喫茶に昼間からお客さんがごった返していました。
●十傳より→鮭を焼きながら珈琲を出す古い喫茶店でありますね、そこは。
先生、イイお店を見つけられて幸運でした
偶然というものは、何かしら意味があるのかもしれませんね
私もカフェより喫茶店の方が落ち着いて好きです
昔の喫茶店は色んな意味で自由でした
若い頃、昼間の喫茶店を任されていたことがあり
お客さんに「 サツキちゃん、〇〇食べたいから作って 」と言われれば
「 よしキタ 」と メニュ-以外のもの、何でも作りだしていました
その喫茶店のお客さんだった男性の忘れられない話しがあります
よく友人3・4人でこられる男性で
ある日私に 「 サツキちゃん、昨日よ、俺よ、車を盗まれたんだよ 」
話によると、その男性がパチンコをしているとき何気なく外を見ると
駐車場を見覚えのある車が走っているのを目撃したのです
「 あっ、俺の車だ 」
昔は車に鍵を付けっぱなしということは珍しくもない平和な時代でした
田舎道ですから複雑ではありません
男性は一緒にパチンコをしていた友達に頼んで、盗人が走っていった方向へと車を飛ばし
少し行った先で 盗人をトっ捕まえました
男性は怒り「 テメエ、このヤロ、何で俺の車を盗んだんだ 」
すると盗人は
「 ボロだからイイかと思って…… 」
男性は一瞬言葉を失い、なんとなく納得させられるような盗人の言葉が可笑しくなり
「 もう、こんな事をするなよ 」とカンベンしてあげたそうです
ユルユルとした良い時代でした
●十傳より→車ドロボーでありますか…ふーむ。
えっそうなんですか!教えていただいてありがとうございます。
その日、家に帰りアイス珈琲と鮭おにぎりをほおばりました。
●十傳より→それぞ日本のココロでありましょーね。
偶然が人を喜ばせ
その偶然に気づいてくれたことを幸せに想うものもいる
偶然は神様がくれた最大のプレゼントなのかもしれませんね
●十傳より→必然より小生意気でなくてイイですね。