2018
11.12

私メがパフォーマンス占いをしていた頃のことを聞かれたことがあり、その余韻に浸っておりました。

なれそめは、故鷲尾先生の八丁堀の教室に通っていた頃、ときたま顔をみせる派手なご婦人がおりました。

講義が終わり、帰り支度をしていましたら、
「テレビに出る気はない?」
と声をかけられたのであります。

「銀座ジプシーって人、知っているでしょう?」
「いえ、まったく」

ホントに知りませんでした。
テレビではマリーオリギンとかは、なんとなく記憶はありましたが、銀座ジプシーなど、ふざけた名前は聞き捨てにしていたのかもしりませぬ。

「今度、会ってみて?」
ご婦人は執拗に誘うのでありました。

あとで知ったのですが、ジプシー事務所はテレビ局と通じており、占いプロダクションのようなものでありました。そして、新しい番組のメンバーを募っていたのであります。
そして、ご婦人はジプシーの愛人的なお方でありました。

なんとなく流されるままに、自由が丘にあるジプシー事務所に向かったのは、1991年の6月だったと記憶しておりますです。

つづく

  1. 肩にカラスを携えていらっしゃる
    お若い頃の先生の写真を何度か拝見していますが
    その当時の先生の迫力をさらに凌駕する迫力というか
    怪しさですね。

    この人物との出会いがなければ今の先生の
    目覚まし活躍も無かったのかもと思うと
    先生の占いの恩恵を受けている私もしみじみ
    写真を見つめてしまいます。

      ●十傳より→私メも老いましたです。

  2. この集団に入るか入らないかで
    その後の占い師としての人生が大きく変わってきていたのでしょうね
    以前拝見しました殴り書きのような文字
    苦しく辛い思いを綴った内容
    読んでいる私も心を痛め、思わず涙するほどでした
    あの経験があったからこそ、人としての器も大きくなられたのでしょう
    パフォ-マンス的な行為も財産となり
    人に教える立場の先生にとって大きく役立っているのでしょうね
    良くも悪くも経験したことが今の先生をつくり
    そして、その先生だからこそ、こうして私はブログにコメントをしている
    人生や人の縁とは本当に不思議なものです、味な物です

    ●十傳より→まだ一人だけ、復讐の済んでいない占い師がおるのでありますです。

  3. それは、だれデスカ

      ●十傳より→新宿ペプシであります。